清水谷構居

兵庫県姫路市夢前町宮置

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書写山の東を流れる夢前川を北へ走ります。 夢前町に入り「清水橋」がある交差点を西へ、300mほどの北側には標高120m尾根山頂には清水谷構(しみずだに)があります。
   
   
東には赤松政則の置塩城、尾根づたいには鞍掛山城がある。 春の4月、鞍掛山城に来た時に通っていたよ、びっくり。

天正の頃、秀吉軍の上月城攻めの時、ここにかくれて備前からの宇喜多軍を迎え討ったともあるよ。
 
  
食品店の右から登れるほど柔軟でない、西側から登ることにしたよ。 すぐ石積みがある、寒さも忘れる嬉しさ。

そのまま直道で上がれる、つづら折れの道も交差し、途中から食品店からの道とも合体する。
    
   
山頂にはテレビ塔、主郭かな、そのまま北の尾根道は鞍掛山城へと続く、かすかに堀のような場所もある。

今思えば、鞍掛山城へはここから登ればよかった。 下りは素直に清水谷の登り口に降りればよかった。

少し身体も暖かくなってきた、雪降る前に降りた方がよさそうだよ。 
  

  
赤松円心の四男・氏範(氏則)は、東播磨の加古郡・印南郡・明石郡・有馬郡を所領し、加古川の天神山城を本拠としました。

建武二年(1336)、足利尊氏が後醍醐天皇と決別した時、赤松一族も尊氏方に付いたのですが、氏範だけは天皇方に付きました。

氏範は天神山城から有馬郡三田城に居城を移し、永徳三年(1386)には足利将軍を討つために京都を攻めたのですが、敗れ播磨に引き返しています。

幕府側は氏範を討伐する為、山名氏清を大将に軍勢を差し向け、氏範が籠もる清水山城を包囲すると、氏範一族は、父子五人・一族郎党百三十七人共々自刃し果てたのです。

その氏範から四代目の永政が清水谷構主となり、氏綱・氏永と続いています。

『参考文献を参照』
 

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