新宮藩陣屋

兵庫県たつの市新宮町新宮

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龍野市街から揖保川西側の国道179号線を北へ、新宮三叉路の信号をそのまま北へ走ります。

次の信号、新宮元町までの一つ前の道を西へ入ると、新宮藩陣屋(しんぐうはん)がありました。
   
   
南には城山城が高すぎ、いつ見ても圧倒される。 一つ北側の太い道で探したよ、無いからあきらめた。

戻り文化センターで小休憩、見ると西への道がある、ふとした瞬間に見つかるんだよね。
 
  
石囲いかな、当時の跡なのかな。 今もご在宅、静かに写真、静かに帰ります。

夏盛り、あきらめも早いし、仕事も早い。 こんな日に、会える会えないは、道一つぐらいの違いでしかないんだね。
    

    
新宮藩の藩祖・池田重利は本願寺坊官の下間氏の出身であるが、母が池田輝政の姉という関係から池田家に仕えるようになり、その才智と武勇が認められ、慶長十八年(1613)に主君と同じ池田姓を名乗ることが許されました。

その後、大阪夏の陣の軍功により摂津に領地を与えられて大名となり、後に播磨へ一万石で移封され最初は鵤(太子町)に陣屋を置いたが、近隣の竜野・姫路藩本多家との争いが原因で、寛永三年(1626)に陣屋を新宮に移します。

寛永八年(1631)に重利が没した後は、二代重政・三代薫彰・四代邦照と続き、寛文十年(1670)に邦照が継子を残さず病没したため廃絶となるが、本家岡山・鳥取藩主の奔走により弟の重教が三千石の新規旗本に取り立てられました。

その後、池田家は明治まで旗本として存続し、幕末には頼方(十二代)が奈良奉行・勘定奉行・江戸町奉行となり活躍していています。

当時の絵図によると、陣屋の南北(元町一帯)に家臣の屋敷が配置されており、こころん広場のある所は家老・水谷氏の邸跡でありました。

『現地案内を参照』

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