兵庫県たつの市新宮町曽我井 | |
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龍野バイパス、福田ランプから179号線を北上します。 揖保川沿いの龍野市を越えて新宮町に入り、「井野原交差点」を東へ曲がると揖保川に架かる曽我井橋、その東岸には標高180mの山頂に曽我井城(そがい)があります。 |
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揖保川の曽我井橋から見てる、赤松円心が築いたお城だよ。 緑の山、川の流れ、5月の揖保川は沢山のお城に会えるかな。 |
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「古宮天満神社」 今回も降りる所を考えて、車を2kmほど北に置いてきた、国道179号線の出雲街道を南へ歩いたよ。 揖保川の觜崎橋を渡るとすぐ東岸の所、今から鶴嘴山(つるはし)に登るからね。 |
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神社から5分ぐらい登ったかな、西を見ると城山城。 すごいよね、全部は写真に入らないよ。 思いだした、橋のたもとには「磨岸仏」、「寝釈迦の渡し」や「屏風岩」がある。 全部見るのを忘れたよ、やっぱり一人じゃ、忘れるよね。 |
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カメラを南に向ける、龍野の市街だよ。 先の低い山が鶏籠山、右の高い方は的場山だね。 鶏籠山から誰かが手を振っているみたい、手を振ったよ。 ハングライダーのお兄さんが手を振って、こちらへ飛んできた。 さあ登るとするよ。 |
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「天然記念物 屏風岩」 ここまで来れたのが不思議、途中の道が怖かった。 岩の道があって、左は垂直の崖、それも幅が1.5mぐらいかな。 なるべく右側を這いながら登ってきたよ、今でも写真を見る度にジンジンくるよ。 |
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姫路の方だけど分からないね、山の向こうは林田藩陣屋がある所、向こうの方に見えてるのが書写山かな。 ここで休憩する人に出会いました。 龍野から的場山、城山城を縦断してここを通り過ぎた人がいたよ、って。 すごい人がいるよね、置塩城・鶏籠山城・感状山城・白旗城をはしごしてる人もいるらしいよ。 |
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鶴嘴山の山頂を越えると、少し道も分かりにくい。 2回ほど迷いそうになったけど、赤いビニールテープが導いてくれます。 ここは谷に降りた所、城跡じゃないと思うけど石が並んでいる、何かな。 もう一つ、山を越えて曽我井の方に行くね。 途中の大正池から西の杉林にはきっと何かあった所かな。 |
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と考えている間に曽我井城の山に登る、尾根の郭だね。 6つの削平地、南側には井戸跡もあるらしい、でも数えられるほどの余裕はない、足がへなへなだよ。 |
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尾根の一番東、主郭だね。 草木がいっぱい、東西9m南北15mの広さ、歩けないから写真だけだよ。 ここに赤松円心も来ていたのかな、いつもお城に行くと秀吉や光秀も来ていたのかなと思う。 大きな天守閣があるお城では感じないことかもね。 |
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尾根の一番西だよ、大きな岩がある。 左の先端からぐるりと左を回って来た、鶏籠山も小さく見えるね。 5月、ゴールデンウィークも最後、日本では1億人の人々が動いてる。 きれいな緑の季節、一週間のうち一日でいいから山を見つめてね。 きっとゴールデンウィークの疲れも忘れるからね。 |
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元弘年間(1331-34)、赤松円心が築いたのが最初です。 嘉吉元年(1441)、赤松満祐の弟・義雅の家臣が曽我井城を守っていたのですが、満祐が起こした「嘉吉の乱」で、城山城と共に落城しています。 応仁の乱の頃(1467-77)、赤松政則が赤松家を再興し夢前町に置塩城を築くと、西の守りのために子・村秀に龍野の鶏籠山城を与えました。 のち鶏籠山城主は村秀・政秀・広秀と続き、この広秀の弟・裕高が曽我井城を守りました。 天正年間(1573-92)、秀吉による播磨攻めで曽我井城も落城するのです。 |
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