兵庫県加古川市八幡町宗佐 | |
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加古川バイパス、「加古川ランプ」から加古川東岸沿いを北上します。 日岡山を過ぎ、加古川が東(右)へ大きく曲がる所でJR加古川線を渡り、三木方面へ通じる20号線を東へ入ると、まもなく宗佐構居(そうさ)のあたりになります。 |
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加古川市・三木市・小野市の境界中央に位置し、西には加古川、北には美嚢川が流れる。 お城はどの辺りかな、分からなかった。 ここは街の中に祀られていた祠だよ。 |
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文献には、集落の東南、台地の突端で、高さが20mとある。 南北が50間(90m)、東西30間(54m)ともある。 違う文献には、整地されて残っていないと記載されている。 でも、この辺りがいい感じなんだけど、ほんとに感じだけなんだけど。 |
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佐用則政(教政)が築き、赤松満政の子・満直を養子として作用兵庫介と名のらせました。 兵庫介の子は、加西市の善坊山城主・孝橋則繁の養子となり、名も孝橋繁広と改めて中道子山城(加古川市)を築きました。 のち宗佐城は繁広の二男・佐田彦次郎政景、子の景頼、上原景光と続き、その後は別所長治の幕下・上原祐光の時には、家臣の加古宗原が守っていました。 天正六年(1578)、別所氏が守る三木城とともに落城したと云われています。 『参考文献を参照』 |
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