須加院構居

兵庫県姫路市香寺町中須加院

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国道312号線を神崎郡に入るとすぐ「須加院交差点」を西へ曲り、2kmほどで公会堂があります。

公会堂の東側の道を少し歩くと須加院構居(すがいん)があります。
  
  
2005年4月、久しぶりに神崎へ来ました。

構居の場所はよく分からなかったのですが、案内を見ると嬉しいものです。

北には八幡神社があって、ずーっと細い道を北へ行くと田野山城の案内もあります。
 
  
構居から西へ走ると道沿いに案内があります。

後醍醐天皇の第三皇子・護良親王の子である陸良親王の塚です。

親王は観応の擾乱の時、赤松則裕に奉じられ弥高山城(姫路市砥堀)から伊勢山(香寺町犬飼)まで進軍したのですが、病により世を去りこの地に葬られました。

この道を西へ走ると、置塩城がある夢前町へと続く。 今日は小雨、また陽気に誘われ歩いてみようかな。
   

   
この構居は、永禄・天正(1558-92)の頃、赤松旗下の須加院隼人(孫右衛門)が住んでいました。

構居は日常生活を営む居館を非常時に備えて強化したものです。

当町には、他に恒屋城の家老・花村将監が住んでいた中村構居があり、田野城(堀出雲守満則)、矢田部城(大坪越前守裕重)、恒屋城(恒屋伊賀守光氏)と赤松旗下の山城がありましたが、秀吉の中国征伐の際に落城しました。

ここから西北西には、置塩城の出城がった谷山の城山が見えます。

『現地案内を参照』

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