兵庫県姫路市飾東町豊国 | |
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国道2号線「御国野交差点」を北へ行きます。 播但連絡道路の花田ICを過ぎて庄交差点から国道372号線を東へ行くと、すぐ飾東町豊国の集落があります。 その背後には標高194m城山の山頂に、庄山城(しょうやま)があります。 |
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この写真は夏です。 ここは自転車で20分ぐらいで来ることができます。 城は真上から見ると、英語の「E」のような形になって、3本の線が南北に延びています。 今回は小学校と幼稚園の間、つまり「E」の一番上の線の右側から登りました。 |
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直道の途中にある大きな岩です。 登山口からの畑を過ぎると道は左右に分かれます。 左は野バラの道なので今回は右から登りました。 でも、道はすぐに無くなるので、そこから山頂まで直道です。 |
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「E」の右上の部分です。 この城は東西500m、南北300mが城域で、「E」の右上から右下まで回るように行ったのですが、うろうろしてたので1時間半かかりました。 | |
東峰からの眺め。 庄山には、2つの井戸や城門があるらしいよ。 「E」の上と真ん中の間かな。 石垣もあるらしいけど、今回は登るだけで探す余裕はありませんでした。 |
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庄山伝説の一つ目、「城の抜穴」。 城には穴があって、ある人が中に入ると東の加西郡法華山あたりに出たといわれています。 法華山一乗寺の裏山にも穴があるらしいよ。 直線で5kmぐらいかな。 小学生の頃、ここから南あたりの山裾に洞窟があって探険したよ。 かなり長くて中が迷路みたいになっていた。 今にして思えば、御着城と庄山城の秘密の通路やったりしてね。 |
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不思議な形、これは何やろうね。 庄山伝説の二つ目、「コマリヤマ」。 赤松円心が敵に追われて、このあたりの低い山に逃げ込みました。 山が低いので今にも敵が攻めて来ようとした時、家来の者に竹の皮に油を塗って山一面に置きました。 敵は油で滑って登ることができないので、「コマリヤマ」と名がついたといわれています。 |
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少し下には平らに削られた跡が沢山あります。 完全に当時の状態が残っているので、逆にすごく新鮮な感じもしました。 |
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「E」の左上の部分です。 庄山伝説の三つ目、「歳徳神社の神様」。 浦上村宗が攻め落とした時、脚気のために働けなかった武士がいました。 この武士は残念に思い、西にある佐良和に来て脚気に苦しむ人たちのために修行をつみ、のちに神様となられたと伝わっています。 |
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「E」の丁度真ん中の部分です。 だんだん西の空に雪雲がかかってきました。 庄山伝説の四つ目、「およねの話」。 およねという人がいました。 城山に井戸があって・・・と先を続けたいのですが、これは書くのをやめとこ。 気温も下がって、少し寒くなってきたよ。 |
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「E」の左下、小雪が舞ってます。 もう大丈夫、今から降りるからね。 城の南に豊国郵便局があります。 このあたりを「五軒邸(ごけんやしき)といわれ、大歳神社から西には殿様の配下の武士の屋敷がならんでいたそうです。 |
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天気は小雪、あまりうまく映っていないね。 向こうの山の右端が「妻鹿城」、写真の中央左端ぐらいには「御着城」。 赤松氏、小寺氏、黒田氏そして秀吉が走っていたんだよね。 この庄山城からみんな見えてるよ。 |
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真ん中の低い山が姫路城がある姫山です。 12月も最後、年内には必ず来ようと思っていた。 この庄山城は当時のまま今に至っています。 石垣や井戸は見ることができなかったけど、山を周回する間に沢山の伝説があることを教えてくれました。 そしてこの一年、100城の城跡に行きました。 2003年最後の探索として、この庄山城は心の中で伝説としておきます。 2004年も良い年でありますように。 |
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姫路市を代表する中世山城の遺構で、十四世紀に赤松貞範によってはじめて築城されたと云われています。 城跡は谷外小学校の北の城山(標高194m)の山頂から山腹一帯にかけて構築されています。 縄張りは、東西五百mにわたって連続する稜線上に置かれた主郭部を中心に左右両翼に張り出した尾根と南にのびる支脈を利用して諸郭を配しています。 山頂から山腹にかけて石垣、土塁、堀切二本、井戸二基、城戸跡などが残っているそうです。 『現地案内を参照』 |
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