多田構居

兵庫県西脇市黒田庄町黒田

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国道175号線を北へ、西脇市街を越え、田高交差点を東へ曲がります。

加古川を東へ渡り、JR加古川線踏切の手前、北側には多田構居(ただ)がありました。
   
   
ここから東の山には黒田城がある、黒田官兵衛が生まれたという説もあるよ。

黒田城の説明によると、黒田氏9代の居城であったといわれる「黒田城址」、山下にあった城主居館と屋敷群である「多田城址」がありました。

多田城に付随する邸宅跡と伝わる「姥が懐」、落城の際、幼い官兵衛と母・於松(おまつ)の別れの地となった「松ケ瀬」などがあるらしいよ。
 
  
実は播磨風土記で、JR加古川線「本黒田駅」に来たよ。

駅の案内に多田構居があったんだ、ちょっと得した気分、ありがと。
    

    
この付近は、かつて構居が存在したと思われる『構江』という字名です。

住宅建設に伴い平成7年に発掘調査が行われました。 その結果、幅6m、深さ4mの堀状遺構や柵列、中世後半の須恵器、土師器、陶磁器および硯石などが出土しています。

また近年、姫路・広峰神社の社家、魚住家の屋根裏から発見された正徳2年(1712)の「小寺氏系図、黒田氏系図」の重隆のところに次のようなことが記されています。

「伝曰く下野守重隆は初は播州多可郡の庄内を領して居住す、黒田村と称す、四方に堀や土手のある屋敷があった」と、今、(正徳2年)より40年以前、この村の古老が話した、と書かれています。

これらのことから、江戸時代の地誌「播磨鑑」に記されている多田構居、あるいは「播陽古城記」に書かれている多田城が存在した所だと思われます。

『現地案内を参照』

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