帝釈山砦

兵庫県神戸市北区山田町坂本

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第二神明、伊川谷から北神戸線に乗り換えて「箕谷」で降ります。

国道428号線を西へ、「原野南」から85号線を西へ走ると北側には丹生山、その東北には標高586m山頂に帝釈山砦(たいしゃくやま)があります。
    
    
丹生山城の西へ行くとシビレ山、引き返して丹生神社から東へ行くよ。

丹生山には明要寺がありました、その奥の院が帝釈山、帝釈天を祀った山です。
 
   
  
丹生神社を出て、まもなく郭を発見。

丹生山城の出城だったのかな、でも奥にあるからお寺跡かもしれないね。

分からないけど、嬉しいよ。
    
   
リュックを道に置いて上る、何かある。

丹生山登山道にある石道標みたい、よく見ると違う。

石道標は四角いけど、これは丸くなっているよ。

ゆっくり奥に歩く、堀切がある。
   
   
ここ山田町はお城が沢山、箕谷城や柏尾城など20城ぐらいかな。

南北朝時代、神戸市北区は新田一族の金谷経氏が後醍醐天皇や楠木正成らに味方したんだ。

このお城も関係あるのかな。
   
   
堀切から降りると、道にはリュック、横を見ると石積み。

お待たせしたね、石だよ。

大坂のお城は面白かった、全部自転車で回っていたんだ。

道や駅、川も覚えた、でも車で行くと迷うよ。
   
   
帝釈山方向へ少し歩く、道の右側。

落ち葉で埋まっているけど、円状になっている、きっと井戸だよ。

郭、堀切、石積み、井戸とそろった、でも城主が分からない。

それが面白い、と話をするんだ。
   
   
着きました帝釈山の山頂。

ここに砦があったのかな、裏の一段下がったところは石積みになっている。

久々に歩いた、若者は次の日に足が痛くなる、二日後に痛くなるのかな、と思いながら3日目も過ぎる。 
    
    
ここはシビレ山、たぶん向こうの山が丹生山、随分歩いてきたよ。

昨日は公園でお花見、でも黄砂でモヤがかかっていた。

お肉より野菜の方が美味しい年頃だけど、久しく美しい風景でパワー全開、さあ行くよ帝釈山の方へ。 つづくよ 
    

   
天正六年(1578)、秀吉による三木城攻め、つまり「干殺し攻め」が始まると、別所方に味方する援軍は三木城への兵糧輸送を始めました。

毛利方は梶原景行が守る高砂城から、加古川を舟で上って兵糧を運ぶのですが、秀吉は高砂城を攻撃すると落城、このルートは閉鎖されました。

次に姫路の英賀城主・三木通秋が三木城へ糧を運ぶと、再び毛利方は明石の魚住城から運搬をしていたのですが、これも秀吉に見つかり、そのルートは絶えました。

そこで毛利方は、明石から兵庫に回り、荒木村重が守る花隈城に兵糧を入れ、この丹生山を経由して三木城へ運び込むのです。

その時、丹生山に砦を築き、南口を守ったのは志方城の幕下である神木構主・高橋平左衛門政純、北口を守ったのが淡河城主・淡河定範です。

天正七年(1579)、このルートも秀吉の知るところとなり、弟・秀長に命じて丹生山に火をかけると、丹生山の全てが焼けるのです。

『参考文献を参照』

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