兵庫県神崎郡市川町谷 | |
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国道312号線を北上し、中国自動車道を越えて「市川町役場交差点」を西へ、市川とJR播但線を渡ると北へ曲がります。 1.6kmほどで道の西側には、標高206mの山頂に谷城(たに)が見えます。 |
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赤松氏の北に対する守りのお城で、「残要の城」とも呼ばれています。 「フウラン」、また一つ花の名前を覚えました。 |
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「大歳神社」 神社の入り口にはお城の案内がある、横には「野生のフウラン」の説明もあるよ。 「フウラン」、初めて聞く花の名前、市川町の天然記念物になっている。 太い樹木や高い梢に樹皮着生するランの一種、白い花で民家近くで群生しているのは珍しいらしい。 |
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神社の裏から登ると、大きな堀切。 よく整備され、山頂近くになると主郭の周囲には所々に石積みが見える。 山頂手前の平削地から1.2km奥には観音堂へと続く道があるよ。 |
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たぶん主郭、東西20mで南北40mだから広い、北側にも堀切や井戸があるみたい。 ここから行くのかなと思いながら、神社に降りて案内図を見た。 観音堂への道から裏へ回ると井戸が見れるみたい、あきらめられないけど、あきらめよう。 丁度、微妙な高さなんだよね。 七月、「フウラン」の甘い香りの頃に来てみようかな。 |
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標高206mの古城山山頂にあり、東西20m・南北40mの本郭跡と、その北側に一段低く16m×18mの平坦地があります。 これをとりまいて、いくつもの平坦地が段違いにあり、土塁や石垣も見られます。 北と南の尾根筋や東西の急斜面には何本もの堀切があり、中世山城の複雑な縄張りが良く残されています。 城は室町時代、赤松則村(円心)の孫、永良則綱が明徳年間(1390-94)に、永良庄を支配して居城としたのが最初と云われています。 その後、赤松氏の北に対する守りの要地とされ、「残要の城」とも呼ばれたが、永禄のころ(1558-70)戦火により消失、廃城となるのです。 『現地案内を参照』 |
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