兵庫県姫路市新在家秩父山 | |
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姫路城と名古山の間ぐらいを北へ800mぐらい、小高い公園が秩父山城(ちちぶやま)です。 祭りの後の夕暮れ、沢山の人が帰る頃、遠く姫路のお城が見えるのもいいね。 |
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南には男山構や嵐山城、東には柴崎山城。 この秩父山の城主も、赤松満祐の命令に従わなかったんだね。 何があったのかな、その理由はまだ分からないよ。 |
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南側と北側に少し、当時の山が残っているのかな。 城跡は広い公園になっている、今日は秋祭りで大賑わい。 ここから姫路城も見えるとある、祭りのあとの静けさ、当時も秋の夕暮れに見えていたのかな。 |
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領主は秩父八左衛門と云われています。 永享十二年(1440)、足利義教が茨城県の結城城主・結城氏朝を討伐する令を出した時、赤松満祐は播磨の豪族を動員します。 しかし男山構主・山野新藤次成明、那胡山構主・那胡七十郎頼三、嵐山城主・渋谷二郎太夫長秀、八代山構主・井出宗考らは命令に従わず、閉戸となり追放されました。 当時、この秩父山城の山之井刑部二郎一光も追放され、その後、秩父八左衛門が入るのです。 『参考文献を参照』 |
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