塔の尾城

兵庫県美方郡香美町香住区一日市

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播但連絡道路で「和田山IC」へ、国道312号線を北上し、豊岡市街から国道178号線で北西へ走ります。

日本海岸沿いを少し西へ、香住の海に突き出た島が、塔の尾城(とうのお)です。
    
    
ここは日本海、カニがいっぱいの香住海岸だよ。 東側の岡見公園から見てる、陸続きだから歩いていけそう。

お城には灯台があるらしい、岸壁に打ち寄せる波、見ているだけで感動のシーンだよ。
 
  
見えてる山がお城、昔、海岸から離れていた。

矢田川と香住谷川が吐き出した土砂を風が運び、陸地につないだらしい。

海鳥が風に流され右左に飛ぶ、肴はあぶったイカでいい、知ってる歌が似合う。
    
  
「帝釈寺」

香住浜海岸を西へ行く、カニ市場を過ぎて街中にあるよ。

6世紀の末、蘇我氏と物部氏は争っていました。

聖徳太子が自らお刻みになった尊像を、仏教排斥派である物部守屋により難波(大阪湾)に投げ込まれたのです。
   
   
「枕石」

白鳳四年(676)、ここ下浜枕ノ崎に漂着したのが、本尊帝釈天と云われています。

長い石も、尊像と一緒に漂着、多くの村民たちが力を合わせて運びあげました。

ここで蘇我氏や物部氏が登場、大阪や奈良は遠いなぁ。  
   
   
「制礼の井戸」

徳川時代、山陰街道の通行人を検問する際、制礼を立てた所です。

そこには共同の井戸、多くの人たちが利用し、井戸端会議の場所にもなっていました。

それにしても、大晦日の歌は分からなくなってるよ。 歳だからかな、昭和の歌詞しか覚えてないよ。 
   
  
「香住海岸」

塔の尾城から東を見てる。 今年の日本海は2回目、前は6月、丹後の久美浜だった。

宿の二階は湯上りの笑い声、訳の分からない話に満足。 街の灯りが消える頃、寝静まる廊下で開けた窓。

波の音はどこから、灯台の明かりはどこ。 今宵も寒い、静かに窓を閉じて、目も閉じる。
   

   
延元元年(1336)、長太郎左衛門は志馬比城(香美町香住区)の篠部有信を破り、釣鐘尾城主・野石甲斐守源太と領地を分け合い、塔の尾城を居城としました。

しかし、宮井城(豊岡市)の篠部有信の弟・篠部三河守は、塔の尾城を攻め奪い返しています。

応安三年(1371)、長佐信連の九代後・長加賀守忠連は、再び塔の尾城を取り戻したのです。

天正八年(1580)、秀吉の但馬攻めにより塔の尾城は滅びました。 この辺りの歴史は、もっと沢山行くとつながってくるのかな。

『参考文献を参照』

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