塚本構居

姫路市夢前町塚本

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書写山の南側の道を西へと曲がり「六角橋西交差点」から菅生川沿いの411・80号線を北へ走ります。 夢前町塚本の護塚橋、その手前の川沿いには塚本構居(つかもと)の碑あります。

2005年4月、春は夢前から。 夢前川の昼寝もいいけど、夢前にはまだまだお城跡があるんだよ。
  
   
ここも置塩城を守るため築かれた構居だよ。

前は菅生川、向こうの山の斜面には幅2mの石でできた平らな所があるらしい。

50mの石塁や斜面全体に石が転がっている、でも渡れないから川の砂を踏みながら川下へ歩いてみるよ。
 
  
 「菅生川(すごう)」

少し下ると大きな岩が落ちている、ここは書写山の西を流れる菅生川、夢前川は東を流れている。

地図を見ると、2つの川はずーっと南で合流、姫路の青山あたりかな。

そこから南は夢前川、広畑の蒲田城や飾磨の山崎城を流れて姫路港に続いているよ。
    
   
山全体の写真を撮ろうとして東へ歩いた、そこには子牛が一頭いたよ。

カウベルをそっと出して鳴らしてみたかった、でも草食べてるみたい。 足音も消して走っていきました。 
   

    
塚本構居は護持構主・本郷四郎左衛門宗安の叔父・本郷頼広が築き構主になり、天正三年(1575)には岩佐石見守則久に城を譲りました。

秀吉が英賀城を攻めた際、時の構主・岩佐八内は中島構主・吉岡親元と共に英賀城の援助に出向いています。

『現地案内を参照』

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