鴾ケ堂城(つきがどう)

兵庫県赤穂市有年横尾

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JR有年駅(うね)から南側の道457号線へと曲がり、すぐ西側の細い道に入ります。

「験行寺登山口」の道標がある道を800mほど南へ進むと「赤穂ふれあいの森」のゲートがあります。

この西側の標高203m三重山(みかさやま)山頂には、鴾ケ堂城(つきがどう)があります。
   
   
「鴾」、この字が読めないよね。
調べたら「とき」なんだよ。 あの国際保護鳥の「トキ」だよ。

先日、日本産最後の佐渡のトキ「キン」が亡くなった(推定36歳)ニュースを聞いたとこだよ。
  
「赤穂ふれあいの森」のゲートがあるところで、駐車場も完備されてます。

山頂の1mmほど見えるのが、城跡の展望台です。 国道からも、ちょこんと見えてるよ。

青いのが「かぶと虫の里・かぶーんうね」で、7月〜8月上旬に開園しているから、夏に遊びに来るといいね。
   
  
さすがにハイキングコース、とても整備された道だね。
所々に地図や、屋根付きの休憩所があるよ。

でも地図の書き方を場所によって変えているみたい、全て同じ地図にした方がいいよ。

適当に歩いているから迷わないけど、地図を見ていて考え込んでいたよ。
(このページに気づいたら、よろしくお願いしますね) 
   
    
尾根に着きました。

このお城はよくわかっていないのだけど、かなり大きな城だったと思うよ。 
   
    
山頂には尾根伝いに100mの階段状になった郭があり、一部には石積みも見られるよ。 
   
    
ここが本丸跡だったのかな、さっそく休息です。

この鴾ケ堂城があるところは北の端で、南は「高穂山」まで3kmぐらい、途中には「験行寺」や「神護寺」があって、瀬戸内海や千種川が眺められるよ。

車を駐車してたから途中の「あずま屋」まで行って、引き返してきたけどね。

坂越方面の「尼子山」が見えた時には、1ヶ月前に登ったばかりなのに懐かしい気持ちでジーンとした。  
    
   
展望台からの眺めは最高やね。

これは兵庫県の西の端、天気が良すぎて山が霞んでいるよ。 今日はこの千種川を少し北の駒山城も行ったよ。

山を歩く人は30kmぐらいは歩くらしいね。 普段は1000歩も歩いていないから、一日2つが限度だよ。 
    
   
「アスレチック」

遊ぼうかなと思ったけど、人の気配がしたのでやめたよ。

南へ行くと「神護寺」があって「大石良雄寄進の石灯籠」や「大石良欽寄進の手水鉢」があるらしい。 
   
    
「験行寺」

奈良時代に行基が建立したといわれています。

山頂に大きな松の木が四方に枝を張り、山が円錐の先端のように尖っているので、日が中天に昇った頃、松の影がなくなるので、この山を「影なしの峯」ともいわれてます。

験行寺の七不思議の一つであったそうです。

お寺、神社、アスレチックも楽しめる城跡探索コースですよ。 
    

    
この鴾ケ堂城は太田弾正(小田)が築いたといわれています。 赤松氏の一族である太田弾正とはいったい誰なのか。

第62代・村上天皇の皇子具平親王の子・師房が「源姓」を賜り、九代の孫・師季が播磨の佐用庄に配流されました。

その子・季房が、姓を山田季則と改め、季則・頼範・則景と続きます。 則景は鎌倉に出て源頼朝の幕下で活躍し、頼朝から佐用荘地頭職を受け、播磨守となり佐用の横板に長谷高山城を築きました。

赤松則景の末子・家範は千種川下流の赤松村に配置され、赤松姓を名乗りその四代後に赤松円心が現れるのです。

この赤松則景が太田入道播磨守と名乗り太田家を創立し、鴾ケ堂城を築城したといわれています。

しかし、この太田弾正が赤松則景と同一人物とした場合に疑問も残ります。

「赤穂郡志」では弾正が隠居としたのはこの鴾ケ堂城の北側に位置する牟礼(むれ)という場所と記載され、一方、赤松則景が隠居した時に築いたのが長谷高山城ともいわれています。

兵庫県の地図でみると赤穂市の鴾ケ堂城は国道二号線沿いで、そこから千種川を北へ20kmほどの中国自動車道沿いにある長谷高山城とは離れすぎているのです。

同じ人物が隠居後に20kmも離れた場所に住んでいたはずはないと思うのですが・・。

   
元亀二年(1571)、この太田弾正の子・治内は赤松秀光の三男・小河秀春と仲が悪く、秀春は龍野の住人・龍野刑部と組んで治内を攻めました。

夜に城は襲われ、城内に残った兵は三枚木戸という場所で防戦をしていました。

東有年に住む三宅与三左衛門という者が、城を救うために敵の背後から撃ち、敵は敗北して退き、龍野刑部はついに「うつき原」というところで自害するのです。

三枚木戸の地名は今でも残っていて、秀春の首を埋めた塚もあるそうで、そこは雑木が茂り、登ったり、木や草を切ったりすると祟り(たたり)があるといわれてきました。

今では、国道二号線が首塚の上を通り、完全に破棄されているのです。

『参考文献を参照』

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