長松寺城

兵庫県神戸市北区淡河町淡河

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姫路から山陽自動車道を東へ、三木東ICを出て38号線を東へ5kmほど行くと淡河道の駅、その南の高台には淡河城、国道428号線を隔てて東には長松寺城(ちょうまつじ)があります。
  
   
お寺の南側、スポーツ研修センターが城跡と云われています。

淡河城には秀吉による4つの付城がありました。

西付城、南付城、東の長松寺城、あと一つはどこかな。 北側の天正寺城のことかな。

   
東の小道を入ると竹林、ここも城跡の感じがするよ。 花隈・丹生・淡河の糧道が断たれると、淡河定範は三木城へ入りました。

毛利勢は西の加古川から兵糧を入れる計画を実行、これを知った秀吉勢と平田山で合戦となります。

この時、淡河定範は三木市の「八幡の森」で自刃するのです。
   
  
読めるかな、「丹生山」と書かれているよ。 この道標の西側に淡河城、東には長松寺城がある。

ここから国道428号線を南に行くと「丹生山」がある、行ってみたいよ。

でも道は少し東よりを通っている、まさか国道通って兵糧を運べないよね。 
   
  
  
天正六年(1578)、三木城主・別所長治が信長に叛旗を翻すと、秀吉による三木城攻めが始まりました。

秀吉は野口城、神吉城、志方城、高砂城を落とし、毛利氏からの兵糧の援護も明石魚住で阻止しました。

毛利の援軍は船を兵庫に移し、荒木村重の花隈城へ運び入れ、これを高橋平左衛門が守る丹生山砦(北区山田町)から、北の淡河城を通り、西の三木城へ運び入れたのです。

これを秀吉が知り、弟・秀長が丹生山砦を攻め落とし、次に淡河城を攻撃するのです。

そして秀吉軍の有馬法印則頼、杉原家次、浅野長政が淡河城を囲むように築いた付城の一つが長松寺城なのです。

『参考文献を参照』

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