町の坪構居

兵庫県姫路市町坪

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姫路駅から南へ、「東延末交差点」を西へ曲がり、手柄山を過ぎてJR山陽本線沿いを走ります。

線路と交差する414号線の道を少し南へ入ると「室津道の常夜燈」、そこから少し南、少し東には町の坪構居(ちょうのつぼ)があります。
   
   
この場所は分かりにくいよ、道から北を見た時「ここだ」と思う空間にある。

当時は東西45m、南北40mの平城、今では木の下に五輪塔があるよ。
 
  
「法輪寺」

山陽本線を越えて、北にあるよ。

南北朝の頃、赤松則祐が赤穂郡の宝林寺から雪渓和尚を請じてこの地に開創し、のち英賀城主・三木氏に尊崇されています。

秀吉が英賀城攻めの時、お寺に立ち寄り、湯茶を所望したところ、白湯で接待され「湯沢山茶くれん寺」という称号を与えられました。
   
   
「荒川神社」

お寺から更に北西へ、10月には「小芋まつり」という秋祭りで盛り上がるよ。 桟敷席というのかな、すでに見学する場所には名前で区画されいる。

好きなのは祭りの前、夕方になると太鼓の練習。 最初は子供達の音、続いて大人の音で夜は続く。

そして2005年秋、気持ちが少しづつ目覚めてくるんだね。 
   

    
英賀城主・三木氏の幕下で町之坪弾四郎主水佐が領主です。

天正八年(1580)、団五郎重種の時に英賀城落城とともに町の坪構居は破却され、のち秀吉は黒田兵庫頭にこの地を守らせています。

黒田兵庫頭については、官兵衛が九州大分県宇佐市の高森城を攻め落とした時、その城代となった人物というぐらいしか分からないです。

『参考文献を参照』

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