中道子山城

兵庫県加古川市志方町岡

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JR宝殿駅の東側県道43号線を北上し、細工所北交差点を東へ約500mの北側に中道子山城(ちゅうどうじさん)の登山口の標識があり、そこを少し入ると駐車場があります。

この山は標高は271mで通称「城山」と呼ばれ、登山口から半分ぐらいまでは舗装され、後半は丸太の階段でよく整備された道がついてます。
   
   
「大手門」を過ぎると道脇に石像(石仏)が並んでいます。

山城は1人で来るものではないと、つくづく思ってしまいます。

赤松一族の中世のお城で、一途に幾度の戦いも乗り越えてきたのですが、大きな時代の流れの中で幕を閉じた城跡なのです。 
 
  
「米倉」

三方を土塁で囲み、内側には石垣が積まれています。

ほかにも堀切りや井戸があります。 今での井戸の水は涸れないそうです。
   
   
「赤松城跡の碑」

このお城は、探索を始めてから、一番最初に訪れた山城なのです。 肝心な場所を見なかったり、うまく写真が映っていなかったり。

でも、とても記念に残る城跡です。 また行きますね。
  
  
「五輪塔」

南北朝時代のものとされ、伝説では武士の供養塔だそうです。
   
  
「安楽寺」

もとは811年に弘法大師の弟子・真紹上人が山頂に開いたのが始まりです。

赤松氏が城を築く時にふもとに移され、赤松氏没し後は櫛橋氏によって再建されました。

白く長い壁がとてもきれいなお寺です。  
  

  
播磨国守護赤松氏範(氏則)によって築かれ、本丸・二の丸・三の丸から構成され、東播磨で最大の約66,000平方mの広さがあります。

山城跡には、城攻めの時に、斜面に竹の皮を敷いたが火をつけられた、坂の上から鯛をかかげ食料があると見せつけたなどの伝説が残っています。

本丸は、標高271mの山頂にあり、土塁囲いが残り、本丸入口の米倉跡は、三方を土塁で囲み、内側には石垣を積み上げています。

二の丸には、大手門と櫓門が造られ、大手門は、四脚門の構えをもつ山城跡最大の門です。

櫓門は本丸への通路に二カ所あります。

三の丸には、搦手となる裏門があり、山城跡北側は、尾根を二本の堀切で切断しています。

また谷間には井戸を作り、堤を築いて貯水池にして、今も井戸の水は涸れないそうです。

山城跡は、大永年間(1521-1527)までに築城され、火災後規模を大きくして再築城しています。

これが現在の中道子山城跡で、この山城跡は、近世城郭へと移り変わる過渡期の姿を残しています。

『現地案内を参照』

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