上野構居

兵庫県姫路市船津町

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国道312号線、「広瀬北交差点」を東へ曲がり、市川を渡って播但連絡道路を越えて、北へ600mぐらいの集落の中には上野構居(うえの)があります。
   
   
八幡神社と地福寺境内、そして泰法寺周辺が上野構跡と云われています。
 
  
「八幡神社」

上野の集落の中央を通る道が、馬場・射場の跡と云われています。 この神社の横の道かな、神社では子供達が遊んでる。

「こんにちは」と大きな声、嬉しくなるね。 きっと思い出すよ、遠い昔遊んだ神社が構居だったんだとね。
    
   
「泰法寺」

神社からすぐ西にあります。 このお寺の境内も構の跡だよ、前の溝が掘りのなごりかな。
   
   
「顔世御前の墓」

上野構から南3km、圓通寺の西にあります。

暦応四年(1341)、塩谷高貞(塩冶判官高貞)の妻・早田夫人(顔世御前)が尊氏の執事・高師直の横恋慕を受け、それを拒むと逆心ありと言われました。

高貞は妻・子に二十余名をつけ丹波路から脱出させ、自身は手勢三十騎を連れて播磨路を出雲へと急ぎました。

妻子は播磨蔭山(姫路市豊富町)で追っ手に囲まれ、立てこもっていた草堂に火を放ち、命果てたのです。 
 
  
「甲八幡神社」

上野構と圓通寺の間、市川の東沿いにポツンと見える山だよ。

播磨風土記の船から14の丘に荷物を落した冑丘(甲山)だと思っていたけど、違ったかな。

向こうの山の右側、増位山の有明山城あたりかな。

最近行ったのに、もう遠い昔になってしまったのかな。 
   

    
永禄の頃(1558-70)、赤松氏の幕下である大塚将監が領主です。 それ以上分からなくてすみません。

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