魚吹津構居

兵庫県姫路市網干区宮内

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姫路の南、国道250線を西へと走ります。

「山陽電車網干駅」西側の27号線を北へ曲がり、1kmほどで「宮内交差点」を東に入ると魚吹八幡神社、更に東に歩くと魚吹津構居(うすきつ)があります。
  
  
「播磨風土記」の話、神功皇后が西国征伐の途中、海が荒れ揖保川河口に避難しました。

皇后の船に沢山の魚が光る玉を捧げると、海が静まるのです。

その話が「ちょうちん祭り」、秋のお祭りとして伝わっているんだね。
  
   
「観世音菩薩堂」

構居跡の碑がある、魚吹八幡神社は150mほど左だよ。

東西150m・南北190mの扇形、周りを幅5mぐらいの堀で囲まれ、中は木々が覆い茂る跡があったらしい。

今はなさそうだけど、碑があると嬉しいよね。

神社に戻り、道路出口隅の「朝日」と刻まれた道標を見て、南西へと歩きます。
    
    
「長太郎の石碑」

網干音頭に歌われている長者の長太郎さんの屋敷跡らしいよ。

近くに林田藩校・敬業館の河野鉄兜の石碑もあるらしけど、分からなかった。

網干音頭、どんな歌やろね。 よそ見して馬から落ちたという話なのかな。  
    
    
「魚吹八幡神社」

神功皇后、応神天皇、玉依姫命(神武天皇の母)を祀っているよ。

南にある網干陣屋の時にも来たけど、何回見上げてもすごい桜門だよね。 
    
   
「西の馬場」とも呼ばれるお旅所、北西には「おたら池」、昔から聖池としています。

古代、この辺りは物資流通の「津の市場」があったと云われています。

秋祭りには24の町から屋台18台、壇尻4台が集まり、獅子舞が神輿を迎えるのです。

いよいよ播州の秋祭り、見る方も気合を入れなければね。
    

     
小字名を「殿垣内」と言い、周囲は幅五〜六メートルの堀に囲まれていました。

かつては播磨の中心だった英賀城の出城で、嘉吉の乱(1441)の時代頃には「津の宮城」との記録があり、天正八年(1580)、秀吉攻めの時、構主・合田助九郎は部下八名と共に討死、この時津の宮城も焼討されています。

別名を勝城とも言い、堀内には門口・番屋口・中の門・北の門の地名が残っています。

『現地案内を参照』

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