兵庫県丹波篠山市八上 | |
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国道372号線で篠山市に入ると、この地は京に近く、南へは播磨そして北は但馬へと通じる交通の要衝で、街をさらに3kmほど東へ行くと、南側には標高459m(比高230m)丹波冨士と呼ばれる美しい山が見えます。 この山全体が、丹波最大の堅城を誇りった波多野氏の八上城(やかみ)となっています。 |
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山麓の居館があった「春日神社」から登ると、まずは「御前屋敷」「主膳屋敷」があります。 そして「下の茶屋丸」「上の茶屋丸」と続きます。 もうすぐ山頂と思いたいのですが、尾根をつたってもう一段高くそびえる山が見えます。 とにかく一休み。 「涼御殿」「右衛門丸」でようやく山頂です。 「本丸」の北には「岡田丸」、西北に「ニの丸」「三の丸」を配置してます。 でもまだ半分しか見ていないのですよ。 |
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「右衛門丸跡」 城主の屋敷跡です。 西方を防御して、山全体への連絡や指揮を行っていた場所です。 本丸周囲にも石垣はあるのですが、春の長雨で草の背が高く、見えなくなっていました。 ここで見れてよかったです。 |
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「芥丸跡からの京都方面」 東方面と京街道の防備を行ったところです。 本丸から東には「馬見所」「茶屋壇」、尾根上には「馬駈場」が伸びて、その先端にこの「芥丸」「西蔵丸」があります。 遠い昔、山の向こうから明智光秀がやって来たのです。 自分の母が磔になることを知った上で、あえてやって来たような気がします。 下りは「藤の木登山口」へと向かいました。 道に落ちてた地図を見ながら、計画通り登った「春日神社」の近くに降りることができました。 |
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「はりつけ松跡」 説明板の後ろには、落城の際、光秀の母と付人などの処刑に使ったといわれる松があります。 いくら植え代えても枯れてしまうそうです。 確かに隠れて見えていないけど、地上から70cmぐらいの朽ちた松の木がありました。 さっきまで、さえずっていた鳥の声は聞こえなくなりました。 美しさに秘めた悲しみが、真空をも貫く静かな空間に、鼓動となって聞こえそうです。 |
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「八上の一里塚」 慶長九年(1604)、徳川秀忠は江戸日本橋を基点にして、東海・東山・北陸の道路に、一里ごとに榎や松を植え、道のりの目標としました。 このことから各藩でも一里塚を設けるようになったのです。 篠山藩では京街道に土を盛って松を植えました。 ここが最初の塚となっています。 |
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「重兵衛茶屋」 春日登山口のすぐ西にあります。 ここは京都から但馬方面へ抜ける山陰街道と、播州方面へ向かう播磨街道との分岐点でした。 江戸時代、大名の参勤交代の時や一般旅人の休憩所となっていました。 お茶で喉を冷やし、美しき山に見送られ播磨へと向かいました。 |
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八上城は室町時代後期(戦国時代)に丹波守護職となった波多野氏によって築城されました。 以来、明智光秀による丹波攻め等を経て、慶長十四年(1609)の篠山城築城に至るまでの間篠山盆地を治める拠点となっていました。 現在、高城山山頂には本丸、二の丸を中心に帯郭や堀切、土塁といった中世城館を特色付ける遺構が各所に残されています。 現在ある春日神社の所在する付近が主膳屋敷跡と呼ばれており、城主の居館のあった場所と考えられています。 『現地案内を参照』 |
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