兵庫県丹波市青垣町大字山垣字向 | |
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175号線の「稲継交差点」から7号線を青垣町方面に走ります。 「道の駅あおがき」を過ぎて「小倉交差点」から427号線を北(遠阪方面)へ3kmほど走ります。 遠阪小学校あたりで遠阪川を東側へ渡ると、その東側には標高235m(比高80m)の山頂に山垣城(やまがい)があります。 |
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「足立氏顕彰の碑」 ここ登山口には、初代城主・足立遠政の墓もあります。 |
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左の山に山垣城があります。 すぐに見つかると思ってたのですが、国道427号線を3往復しました。 国道を走るよりも、遠阪川東側の新しい道を走る方が分かり易いと思います。 そして、この塔は新しい道沿いにありました。 写真の説明板のあたりが登山口です。 |
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「足立氏顕彰の碑」の裏手を通っていくと、すぐにこの社が祀られています。 何という名だったのかな。 比高も80mということでカメラ一つ、この右手から入ります。 |
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山全体が植林された杉林で、間引きされた丸太がいっぱい置いています。 間引きしないと、木は育たないからね。 よく整備されていますよ。 |
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まもなく山頂というところに大きな堀切があります。 右へは「南の平」そして左が「本丸」へと続きます。 | |
「愛宕社」 三の丸に祀られています。 この奥が二の丸です。 二の丸には、木の枝で作られた小屋がありました。 たぶん子供達が「山の基地」と言いながら作ったものかな。 子供の頃、近所の友達と山に「基地」を作ってたよ。 田んぼに積み上げたワラの中をくり抜いたのも「基地」と呼んでたよね。 |
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二の丸から本丸に着きました。この先には「加兵衛の段」という曲輪があるのだけど、よくわからなかったよ。 前に丹波に来たのは5月頃の八上城かな、もう12月か。 この辺も雪で白くなるのかな。 サンタクロースを信じて、靴下を枕元において寝たことがあるよ。 朝起きたら何も入っていなかった。 涙が出そうなプレゼントだけど、それでも「あの頃はよかった」なんだよ。 |
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「烏帽子山」 本丸から東方面の山です。 たぶん烏帽子山と思うのですが。 氷上郡青垣町は京都府の福知山市と隣合わせです。 地図で見ると山垣城から直線で10数km西には、なんと竹田城があるんだね。 ひょっとして、姫路からだと播但連絡道を北上して竹田城がある和田山から東へ行った方が速いかも。 何で但馬の竹田城主と争っていたのかがわかるよね。 地図を見ていると、いろんな発見があって飽きないね。 |
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「佐地神社」 帰り、岩屋山からパラグライダが舞っています。 また白い世界になる時に来てみたいよ、美しき丹波の路へ。 |
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足立氏の祖は藤原鎌足で、平安末期の頃に14代後の藤原遠兼が武蔵の国足立郡に住み、その子・遠元は地名から足立遠元と名乗りました。 元暦元年(1184)、足立遠元は源頼朝が鎌倉幕府を開いた時、各国や御家人を統治する行政機関「公文所(くもん)」の寄人の一人に任じられました。 正治元年(1199)、頼朝が没し、跡を継いだ源頼家に対する御家人の不満が高まると、北条時政や政子を中心に「13人の合議制」がとられ、足立遠元もそのうちの一人として、鎌倉幕府の要職についています。 しかし、北条氏が権力を独占すると、源頼朝時代の重臣が次々に殺害されたのです。 最初は梶原景時、頼朝の弟・阿野全成、比企能員、そして源頼家も修善寺へ幽閉、その弟・実朝も殺害されました。 承元三年(1208)、この足立氏も中央から離れ、足立遠元の孫・遠政は丹波佐治庄の地頭職について山垣城を築き、一族が小和田城、遠阪城、烏帽子城、田ノ口城に入って丹波での地位を固めました。 『参考文献を参照』 |
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