安良城

兵庫県豊岡市出石町安良

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播但連絡道「和田山IC」で降りて国道312号線を北上、豊岡市に入ると鶴岡橋で円山川を渡ります。

国道482号線を東へ、出石への途中248号線を北へ曲がり、出石川を渡りると1kmほどには標高70mの安良城(やすら)があります。
    
    
安良十郎左衛門の居城です。 安良城から3km北には三開城、田園が広がっているよ。

南朝方と北朝方がにらみ合っていたのかな。
 
  
 南側の八幡神社鳥居から、きれいに整備された石段を上る。 山頂手前、境内への階段の横の石が微妙に気になる。

南から上ったけど、西の尾根の方が郭跡があるみたい。 北側の尾根は堀切があるらしい、三開城と対抗する為かな。
    
   
安良八幡宮が祀られた山頂、主郭だったのかな。 それにしても南北朝時代はややこしい、大手の表計算ソフトで罫線を描く。

年号を左端、右に北朝、その右に南朝の出来事を書いてみた。 ソフトで四苦八苦している内にページを作った。

歴史がよく分からないのは、そのせいなのかな。 
   

    
元弘三年(1333)、後醍醐天皇の「建武の新政」は二年で崩壊、足利尊氏が光明天皇を擁立すると、後醍醐天皇は吉野に逃れ、朝廷は南朝と北朝に分かれて争うようになるのです。

この但馬でも尊氏方(北朝方)の今川頼貞が守護になると、南朝方は新田義貞の子・義宗を三開山城に迎えて対抗しています。

観応元年(1350)、北朝内で尊氏と弟・直義が対立するようになると、直義は南朝方に付き、尊氏に従っていた山名時氏も高師直と対立していた立場から直義の子・直冬に付いて南朝方になりました。

文和二年(1353)、足利義詮が後光厳天皇を奉じて上洛すると、山名時氏・師義父子は足利直冬を奉じて京都へ進出します。

南朝方は男山で陣を置くと、尊氏は比叡山、足利義詮・佐々木道誉・赤松則祐らは神内に陣を置き、南朝方は破れています。

康安元年(1361)、伯耆に身を寄せていた山名時氏は再び上洛を企て、美作の赤松世貞を追い出し播磨進出を図ると、南朝方の長九郎左衛門らも三開城に入ります。

これに対抗する北朝方は、仁木頼勝(頼章・義長の弟)を守護として入れたのが、安良十郎左衛門の居城である安良城なのです。

『参考文献を参照』

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