七尾市古府・古屋敷・矢田 | |
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能登有料道路を北へ、田鶴浜ICから249号線を東へ走ります。 七尾市役所を過ぎ、川原町信号で南の159号線へ、「城山登山口」から東へ曲がり、道なりに山頂に着くと七尾城(ななお)がありました。 |
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あっけに取られた風景、幾度もカメラを向けては、すごいの連続。 ここは能登、畠山氏のお城だよ。 謙信や信長の争いに巻き込まれ、そして加賀前田氏のお城になるんだね。 |
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駐車場からドキドキ状態、石垣がすごい。 テレビや写真で見るのと違う、石垣、生きてる感じなんだ。 畠山七人衆、気になるよね。 温井紹春・遊佐続光・遊佐宗円・長続連・三宅総広・平総知・伊丹続竪の七名だ。 長続連は田鶴浜館で出てきたね、今度来た時の楽しみかな。 |
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海、能登島が見える。 空、半島はどこまで続く。 少しの旅だった、でも来て良かった加賀・越中・能登の旅。 もう来ない、もう来れない日本海。 そんな風景が似合う海、いつか来ること約束して帰るんだ、北陸なんだから。 |
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七尾城は室町幕府三管領の一つ、畠山氏から分かれた能登畠山氏の居城です。 石動山山系の北端に位置し、標高約300mの尾根に長屋敷(長殿丸)・本丸・西の丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置し、この尾根から枝分かれする幾筋もの尾根にも大小無数の砦を配置しています。 それ故、七尾という地名は、七つの尾根に由来すると云われています。 築城年代は明らかではないが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強されたとみられます。 永正・天文(1500年代前半)の時代は最も政治的にも安定し、文化が栄えました。 大永六年(1526)、当代一流の歌人冷泉為広・為和父子が七尾城に来訪し、天文十三年(1544)の記録では、城山山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なって見えたと云われています。 天正五年(1577)、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡しました。 本丸から三の丸にかけての一帯は、地形を巧みに利用した規模雄大な縄張りと、石垣・土塁・空堀、それらを備えた曲輪の保存状態がとてもよく、国指定史跡となっています。 『現地案内を参照』 |
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