金倉城

丸亀市金倉町

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高松自動車「善通寺IC」から25号線を北へ走ります。

国道11号線を越え、295号線を東へ、金倉川の手前で南の集落に入ると、金倉城(かなくら)がありました。
  
  
お城は円龍寺、隣にある西教寺あたりと云われている。 山門には、金倉顕忠の弟・総左衛門顕久が兄・顕忠の戦死の後、剃髪して金顕山智浄院を建てたとある。

天台宗であったが、蓮如上人に帰依して、真宗に改め円龍寺と号したそうだよ。
 
  
この顕忠は、鬼中津とも呼ばれる豪勇な武将だったんだ、だから鬼屋敷とも呼ばれていたんだよ。 一説には、南北朝時代の多田氏の居城とも云われている。

摂津・源満仲の十一代・義基が摂津から讃岐に来て金倉に住み、のち細川氏に属したともあるよ。

田植えも始まる集落の中、すごいお城だったんだよね。
   

   
金倉顕忠は、もと多度郡に住んでいましたが、三好実休に頼んで、宇多津の奈良氏の配下となり、金倉郷一円の領地を支配していました。

当時の奈良氏は、主家・細川氏と共に京都に滞在することが多く、讃岐の配下の部将たちは無道な振る舞いをし、他領地との対立、また住民をも苦しめていました。

天霧城主・香川信景は、そうした新目氏・木目氏・山脇氏は自分に従えましたが、金倉氏はあくまでも服せずに、逆に香川氏の領地に侵入しています。

天正三年(1575)、香川信景は香西氏・大平氏・三野氏・福家氏・滝宮氏らと金倉城を攻め、一方金倉顕忠は攻防するも討死し、金倉城は落城するのです。 (金倉合戦)

『参考文献を参照』

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