高松市鬼無町佐料 | |
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高松自動車道「高松西IC」から北の33号線を北へ進みます。 西には勝賀山、すごく大きい、登山道の案内に従って西へ曲がると、佐料城(さりょう)がありました。 |
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北の作山城から来た、奥津神社と思って少し南の奥津神社へ行ったよ。 公民館もあったし、満足して帰ろうとした。 地図を見ると、同じ名前の神社があるではないか。 西への道は勝賀城、その途中にあったんだね。 |
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勝賀山の東麓の微高地にある畑地にL字状の堀跡が残る。 そこを内堀、付近を城の内と呼び、65m四方の館跡が分かるらしい。 城の内の南東隅に香西成資の父・植松吉兵衛時蔭の墓碑もあるらしい。 全部忘れた、でも勝賀城へ来るから、今度ゆっくり見ることにしたよ。 しばらく香西氏とお別れ、西の指月所城へ急ぐんだ。 |
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笠居郷(鬼無・香西・下笠居)を本拠に阿野・香川郡に勢力を広げ、讃岐藤原氏一門の棟梁となった香西氏の居城跡です。 詰の城とされる勝賀城に対し、佐料城は里城で、讃稜の館とも呼ばれていました。 承久3年(1221)、香西氏は承久の乱で北条氏に従い軍功をあげ、天正5年(1577)、十八代佳清が藤尾城を築いて移り住むまで、代々この城に拠って、中央政界ともつながりを持ち発展していきました。 勝賀山東麓の微高地にある畑地にL字状の掘跡が残り、それを内掘、付近を城の内と呼びます。 約65m四方の方形館の様子が分かり、周辺には、城の台、馬場の谷、東門、北掘、城の新屋など地名や屋号が伝えられています。 城の内の南東隅に「南海治乱記」、「南海通記」の著者、香西成資の父、植松吉兵衛時蔭の墓碑があります。 『現地案内を参照』 |
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