岡豊城

南国市岡豊町八幡

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高知自動車道、「南国IC」から国道32号線を南へ、信号4つ目あたりを西へ曲がります。

まもなく歴史民族資料館、ここは四国覇者のお城、岡豊城(おこう)なんだよ。
  
 
すごくきれいな資料館、その背後が岡豊城なんだ。 お城をひと回り、また資料のレストルーム、コーヒでもいかが。

ここは長宗我部氏の本拠。 歴史の教科書、長宗我部の名が面白くて、必ず覚えているよね。
 
  
雨が降る、でも大丈夫。 司馬遼太郎氏の「夏草の賊」、最初の辺りの奈々との会話、岡豊城は「豊岡のまちがいと言われる。
  
   
歴史は小説を読んでから来ると面白い、ここには四国を制覇した人物が居たんだ。

長宗我部元親、その名はけっして忘れることはできないよね。
   

   
岡豊城跡は、四国を平定した長曾我部氏の居城として知られる中世の城跡です。 長曾我部氏は鎌倉時代に地頭として土佐へ入国したと伝えられており、それ以後、長岡郡を中心に勢力を拡げ、戦国大名へと成長していきました。

岡豊城の築城は発掘調査の結果、13〜14世紀ころと考えられています。

「土佐物語」によると16世紀の初頭に一度落城したと伝えられており、その後、国親により永正十三年(1516)に再興され、天正十六年(1588)に元親が大高坂城(現在の高知城)へ移転するまでの、約七十年間にわたり居城として使われていたといわれています。

岡豊山は、香長平野に突き出した丘陵であり、標高97mの頂上部に立てば、眼下に香長平野をおさめ、遠く太平洋も望むことができます。 南には国分川が流れ、自然の要害の地でありました。

城跡は、詰を中心とする本城といわれる部分と西の伝厩跡曲輪、南斜面の伝家老屋敷曲輪の二つの出城からなる連郭式の構造となっています。

本城は、詰と堀切によりへだてられた二ノ段、詰の南から西にかけて周囲を取り巻く三ノ段、四ノ段からなり、虎口は西部に造られています。

発掘調査の結果、詰・詰下段・三ノ段では礎石建物跡や土塁の内側に石積みが発見されています。

また多量の土師質土器とともに青磁、白磁、染付と呼ばれる輸入陶磁器、瀬戸、備前、常滑などの国産陶器、渡来銭、小刀、また武器として火縄銃の部品や弾丸などの遺物が出土しています。

『現地案内を参照』

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