高知市浦戸 | |
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四国は高知、坂本龍馬の生まれた地だね。 桂浜、今何ができるのか、波が背中をおしてくれそうだね。 |
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月の名所、桂浜。 坂本龍馬記念館、南に太平洋。 武将・長宗我部元親、土佐一国を領有する拠点としたお城だよ。 |
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「山祗神社」 駐車場に着く、記念館入口の反対側の小山だよ。 上の写真の碑があるとこを上る、本丸跡かな。 記念館の方に目がいってしまう、見落とすかもしれないよ。 |
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一旦、記念館から降りて桂浜方向に進む、道の傍らに石碑があるよ。 そこを上ってみる、郭跡と思うけど、草を刈るとすごくきれい。 |
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「龍馬像」 大きい、すっごく大きい。 龍馬、本当に大きい人だったんだね。 もっともっと大きく生きなければ、そんな声をかけられているみたい。 |
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いつも瀬戸内海を見てる、やっぱり違うよ太平洋。 水平線の途中に島が見えない、広いんだ。 もっと広い心を持った人になりたいな。 静かな波、でも気持ちは昂ぶる波なんだね。 |
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浦戸城は、戦国時代の土佐を代表する武将・長曾我部元親が、土佐一国を領有する拠点として整備した城でした。 この地は、瀬戸湾の入口に位置し、交通の要衝として重要な地で、南北朝時代からこの地をめぐる攻防が繰り返されてきました。 戦国時代、長岡郡本山を本拠地とする本山氏が高知平野に進出し、朝倉城(高知市朝倉)を拠点として、その勢力を拡張した際、ここに城を築いたのが中世山城として整備されたはじめでした。 永禄三年(1560)、本山氏を破った長曾我部氏はこの城を奪います。 天正十三年(1585)、土佐一国の領有を認められて後、元親は一時高坂山(現:高知城跡)に城を築いたものの、治水に失敗し、天正十九年(1591)頃には、再びこの地に移転し、浦戸城は長宗我部氏の本拠となりました。 現存する遺構は、天守台跡、詰ノ段、ここから西へ三ノ段、三ノ下段、堀切及び二ノ段などであるが、中世の山城的な構造をもとに、詰ノ段を取り除く土塁配置や天守を備えた点などの近世城郭としての特徴を併せ持つ、土佐の城郭史上貴重な遺構といえます。 『現地案内板参照』 |
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