伏見城

京都市伏見区桃山町

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名神高速で天王山トンネルを抜けて「京都南IC」から1号線を南へ、大手筋交差点を東へ走ると桃山町、北側の伏見北堀公園には伏見城天守閣がありました。
  
京都からJR奈良線、桃山駅で降りる。 東へ歩く、歩く、そこは明治天皇陵、長い石段降りて帰る。

出直し、桃山駅で降りる、北東へ歩く、歩く。 工事中で入れない、やっと北側から見えた天守だよ。
   
「御香宮神社」

人に尋ねる、「京阪の近くだよ」の答えが多い、それでわかった、ここの神社の場所を教えてくれてたんだね。

862年、境内に清泉が湧いて、その芳しさが四方に広がり、清和天皇より「御香宮」の名を頂いたそうだよ。

この門は伏見城の大手門と云われているね。
   
神社は、秀吉が伏見城内の鬼門の守護神として深草に移し、家康によりこの地に戻されました。

家康が伏見城にいた頃、秀忠の娘・千姫が誕生し、徳川家の産土神にもなっています。

千姫、最初は秀頼と結婚し、大坂城が落城、のちに本多忠刻と一緒になり姫路城に移り住んだんだ。

よく見ると、伏見城天守が姫路城に似ているような気もするよね。
   

   
秀吉は関白と聚楽第を養子の秀次に譲り、佐賀県の名護屋城へ出向きました。

文禄元年(1592)、その間に伏見指月の地に築かせたのが、伏見指月城です。

文禄三年(1594)、秀吉は移り住むのですが、慶長元年(1596)の大地震で大破し、多くの犠牲を出して、秀吉も北の木幡山に逃れています。

その時、秀吉は指月から木幡山にお城を移すことを考え再建、しかし慶長三年(1598)、秀吉は世を去り、翌年には石田三成を佐和山城へ追放した家康が伏見城へ入るのです。

慶長五年(1560)、関ケ原の合戦が始まると、鳥居元忠が守る伏見城を西軍の小早川秀秋と島津義弘が攻撃、ついに炎上してしまいます。

のち家康が再建するのですが、元和九年(1623)の一国一城の令により、その資材は淀城に利用されるのです。

『参考文献を参照』

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