京都府中京区小川通蛸薬師元本能寺町 | |
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京都に本能寺があるのは知ってはいたけど、果たしてどこだったんだろうね。 | |
永禄11年(1568)、信長が足利義昭を擁立して京都に入ります。 そして天正10年天正10年(1582)6月2日、「本能寺の変」により、信長とともに炎上するのです。 ここは本能小学校、石碑の「能」の時が違うんだよね。 |
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ここは北側、特別養護老人ホームの施設があるところだね。 当時の本能寺は、まだこの北の一画とも云われているよ。 歴史の「もし」で一番面白いかも、信長が天下をとっていたら日本の首都はどこだったんだろうね。 |
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応永22年(1415)、御開山日隆聖人は、本門八品の正義を弘通せんがため、油小路高辻と五條坊門の間に一寺を建立して、「本応寺」と号されました。 後に破却されたので、永享元年(1429)小袖屋宗句の外護により、町端に再建、次いで永享5年(1433)如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て再建し、本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称されました。 天正5年(1536)、天文法乱によって焼失、天文14年(1545)、第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院のこの地に移り、壮大なる堂宇の再興し、信長の仮宿所となっていました。 天正10年(1582)6月2日、「本能寺の変」によって信長とともに炎上するのです。 後に信孝が父・信長の廟を建てたいがために本能寺は再びこの地に復興を見ることなりましたが、天正17年(1589)、上棟式の当日、秀吉より鴨川村(現在の寺町御池)の地に移ることを命じられました。 『現地案内を参照』 |
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