開田城

長岡京市天神

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阪急京都線「長岡天神駅」の北側79号線を西へ、150mほどのマンション入口には開田城(かいでん)の案内がありました。

2009年1月、京都。 三十六人の西岡被官衆、誰がいたのかな。
  
勝龍寺城や神足城があるJR長岡京駅から西へ歩く、10分ぐらいかな。

西国街道には旧石田家住宅、街道を挟んで東に勝龍寺城、西には開田城があるんだ。

山城守護・畠山義就が西岡(桂川より西)を占領した時、この地には西岡被官衆の一人・中小路氏が居城していたという。
  
宅地開発の跡、うまく残しているよ。 三十六人の西岡被官衆、その一人、中小路氏は開田天満宮の神官だという。

開田天満宮は、今の長岡天満宮というが、行けなくて残念だな。 ここから北へ歩く、すぐに今里城だね。
  

戦国時代(15世紀後半〜16世紀)に活躍した国衆の一人である、中小路氏(なかこうじ)の居城です。

乙訓・西岡地域の土豪・地侍たちはそれぞれの村のリーダとして活躍し、また国衆として、地域の自治的運営を目指す国一揆を結んだことで全国的にも著名です。

国衆の居館は、彼らの活躍の基地として、重要な役割をはたしていましたが、開田城はそうした居館の遺構が残る貴重な事例です。

開田城が一辺約70mの方形の居館で、周囲に幅約6.5m、高さ約2mの土塁と、幅約8m、深さ約1mの掘をめぐらす、典型的な構造であることが明らかになりました。

南西部に推定される主要な出入口は、南へ張り出す特徴をもち、城内からは、東西・南北が3間(9m)以上の大規模な掘立柱建物や、石組みの井戸、焼けた土や炭がつまった竈(かまど)とみられる遺構などが発見されました。

現在、西辺と南東隅の土塁が残されて、地域の中世の歴史をとどめ、国一揆の拠点として全国的にも貴重な歴史遺産をして保残されています。

『現地案内を参照』

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