神尾山城

亀岡市宮前町宮川

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国道372号線で篠山市を抜けて京都府に入ります。

園部町から亀山市へ入り2kmほどで西側の宮前集落へ、その西側の標高434m(比高234m)の山頂には神尾山城(かんのおさん)があります。
  
  
南は神戸から京都へ歩いている、そこのお城は細川氏でいっぱい。

今回は北から京都へ入る丹波、ここは波多野氏一族・柳本賢治のお城。

でも、まさかここも細川氏が絡むとは思わなかったよ。
 
国道から集落の道へ入り、おばあちゃんに道をたずねると、気合入りの声で「右行ってから、右だよ」、そしたらここに来た。

ここにバス停留所もあったような記憶があるけど、錯覚かな。
  
けっこう長かった道、途中で見たよ、木が出ている岩を。 道から少し奥まった所なので、目の錯覚の様に見えるけど。

絶対に出てるよね、車で待ってるから見に行ってもらえる人を連れてくればよかったよ。 
  
 「金輪寺」

遠い道は緊張した、やっと駐車場。 石の階段を登るとお寺だよ。 極楽坊、竹中坊、宝蔵坊、東柳坊などの跡が残る天台密教の霊地とある。

お城は、大きな岩や怪石をうまく使ってたらしいよ。
  
江戸時代のものかな、オランダから渡った龍斗水ポンプらしいけど、実際に使っているのは見たことないよね。

25年前の学生の頃、ポンプの設計・製図をやったよ、最後は教室で連続徹夜の製図。

夜中に差し入れがあるの、その時は目が覚めてたな。 ちょっとした事が嬉しかった。 
  
長い茎の先に付いてた「みかん」。 「京都で古い物見て、美味しい物を食べよう」と誘い、黙って水ポンプとみかんを見る。

油取り紙だけ買って、先に新快速で帰ってしまうかな。 
  
お堂の右手から登ると、すぐに10基のお墓が並んだ所に出る。 背後を見上げると山の稜線、その尾根から郭群が始まるよ。

郭の横が通り道、横を見ながら何段あったのか、忘れたけど数えてみてね。 
  
郭と郭の間にはへこみがある、空堀かな。 郭は一つ一つがはっきりと段々になってどこまでも続く感じ、かなり大きいお城だよ。

もうすぐ石積みがある所、谷側に一段下がって大きな郭がある。 そこには円形の岩清水があるらしい、見たかったけど忘れた。
  
この辺りになると道がなくなる、主郭なのかな。 まだまだ奥につながってるみたい。

掻き分け掻き分け、中に入ると礎石とかあるらしいよ。 「一人でお城は楽しい」と聞かれる、見栄は張るけど二人の方が楽しいよと答える。 
  
やっぱり、ここも岩から木が出てるよ。 根元を見てみたいけど、根はどこに、錯覚じゃないよね。

京都は「水ポンプとみかん」だけじゃないよ、寒い時期には岩から生える木も見ごろ。

古き都、油取り紙を一生分買って新幹線で帰る準備かな。 
  

応仁の乱の時、東の大将細川勝元の子・政元が三人の養子(澄之・高国・澄元)を迎えてから、細川家で家督争いが起こり、そして近畿・四国を巻き込んだ複雑な争いへと広がるのです。

応仁の乱で勝元方に付いた波多野秀長は、政元から丹波を与えられ、子の波多野稙通が築いたのが八上城です。 八上城は明智光秀が母を人質に出して波多野氏を攻略し落としたお城で有名です。

この波多野稙通の兄弟に香西元盛・柳本弾正(賢治)があり、香西元盛は高国の家臣でした。

大永六年(1526)、高国が澄元を阿波に敗走させた後、摂津の尼崎城に従兄弟の細川尹賢を置いていました。 ところが尹賢の夫人と香西元盛の夫人が口論となり、尹賢は香西元盛を殺害するのです。

兄弟を亡くした波多野稙通は八上城に籠もり、弟の柳本賢治にこの神尾山城を守らせて高国に対して挙兵、高国は敗北し近江へ逃れました。(桂川合戦)。

のち柳本弾正は一時京都で勢力を得るのですが、享禄三年(1530)、播磨の浦上村宗を攻めた時、高国の被官・中村助三郎により討たれるのです。

『参考文献を参照』

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