槇島城

宇治市槇島町

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京都駅から奈良線に乗り換え8つ目の駅、宇治川を渡ると宇治駅から北側へ歩きます。

ユニチカを過ぎ、任天堂工場あたりで真北の住宅街へ入ると、槇島城(まきしま)の碑がありました。
  
やっと見つけたよ。 西へ西へと歩いてた、北宇治中学校あたりであきらめた。

暑い、車道を東へ向きなおし、持参の地図を見る。 誓澄寺がある、お寺から少し西だったんだ。

今では公園、昔は細川氏や足利将軍も居たんだよ。
 
槇島城から宇治駅の南、人通りは平等院へと続く。 源頼政のお墓に感動、ざるそば注文すると、お冷がおいしい。

宇治橋、紫式部像の横にすわる、大雨の跡だから水が多いよ。 流れははやい、せめて渡るのさえ、ためらえたらいいんだよね。
  

  
室町時代から安土桃山時代にかけて、足利将軍家の家臣・真木島氏が本拠としていた城で、この付近にあったと云われています。

この城は交通の要衝でもあり、また回りを川で囲まれた天然の要害にもなっていた所です。

槙島城が日本史の舞台に登場するのは、元亀4年(1573)のことで、信長に追われた室町幕府第15代将軍・足利義昭は、京都から真木島昭光がいるこの槙島城に居を移しました。

しかし、7月18日に追ってきた信長軍勢の秀吉・光秀・柴田勝家らは川下の五ケ庄より、また稲葉一鉄らからは平等院周辺より攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃走します。

これにより、城は開城するとともに、室町幕府はこの地で滅び、この戦いを槙島合戦と呼んでいます。

その後、信長・秀吉によって城は管理されますが、文禄3年(1594)頃廃城になったと考えられています。

この付近は秀吉による堤の築造や宇治川の改修などにより景観がすっかり変わり、槙島城の位置はもちろん、存在そのものも忘れ去られようとしています。

『現地案内を参照』

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