京丹後市大宮町口大野 | |
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舞鶴自動車道、「綾部JC」から京都縦貫自動車道に乗り換えて、最終の「宮津天橋立IC」から宮津の街へ入ります。 国道176号線を西へ、JR「野田川駅」を過ぎて312号線を北へ走り、「丹後大宮駅」方面の町内へ入ると大野神社、その神社の小高い山が大野城(おおの)です。 |
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今は大野神社の所が大野城。 最近、大阪方面にも行きたいと思ってる、でも京都丹後の地で大坂の話に出会えたよ。 大野治長は豊臣秀頼に仕え、大坂城の落城には必ずその名が見える人だね。 |
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「大野神社」 石段を上がると社殿、そこが本丸と云われている。 入り口には大きな石碑、「大○所跡」と書いている、「代官所跡」と思っていた。 でも小さく丹後縮緬(ちりめん)とも書いているし、○はどう読むのかな、また教えてね。 |
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神社の西北側、城跡を思わせるような平削地があるよ。 境内には丹後縮緬(ちりめん)の説明もある。 丹後の「生糸ちりめん」は品質が優れていたのですが、外国から絹織物が安く入り、圧迫されてきました。 危機に直面した時、蒲田善兵衛は財産を投げうって、綿糸から縮緬を作ることに成功したのです、慶応三年(1867)頃の話です。 |
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「大宮城はどこかな」 地図には大野城の西500m辺りに大宮城とある。 やってきたけど、山と畑の緑が広がっている、どこだったのかな。 でもここで縮緬と大坂城の話を聞けた、よかったね。 京都の丹後、日本海は小雨、どこまで話が聞けるかな。 |
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豊臣家の部将・大野治長、その父・道犬ら大野一族の出生地です。 (別説では治長は大野定長の子で、道犬は弟) 天正十七年(1589)、秀吉は大野道犬の武功と、その妻・大蔵局が淀君の乳母であった労に報い、和泉佐野と大野の地で一万石が与えられ、当地に居城を築き、文禄元年征韓の役に出陣し勇名を轟かせました。 元和元年(1615)、大坂夏の陣において、道犬の子・治長や弟・治房らは豊臣秀頼、淀君を守り、家康との大軍と戦うのですが、武運なく一族すべて滅亡するのです。 『現地案内を参照』 |
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