三庄太夫屋敷

宮津市石浦

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舞鶴自動車道、「綾部JC」から京都縦貫自動車道に乗り換えて、最終の「宮津天橋立IC」から宮津の街へ入ります。

国道176号線を西へ、由良川を渡り178号線を北へ、宮津市に入ると国道沿いには三庄太夫屋敷(さんしょうだゆう)があります。
  
由良の川を見ていると通り過ぎる、反対側にあるからね。

森鴎外の小説「山椒太夫」、話はこの三庄太夫という人物がもとになりました。

この辺りは城島という、太夫の馬場や作業場があった所だよ。
  
 手前には石の水溜め、屋敷が建っていたのは北側の平らな所かな。

舞鶴市の丹後冨士(建部山)の北西には安寿姫塚があるよ。 安寿と厨子王の話、幼き頃から知っている、でも思い出せないのは何故。

倒れた案内板をそっと直す、由良川を見ながら離れて行く。

丹後の一場面、言葉に出ない物語、見ていた場面も現実なのかな。
  

   
「安寿と厨子王の話」

康保4年(967)の平安時代、平将門の子孫である陸奥国(青森県)の判官平政氏の娘は、家臣・村岡重頼の妻となり、弟の政道には2人の子供がいました。

この2人が安寿と厨子王です。

父・政道は村岡重頼に殺され、安寿と厨子王も母や乳母とともに追放されて旅に出るのです。 (父は無実の罪で九州へ流され、父に会いに九州へ旅をした説もあります)

直江の浦(新潟県)で山岡太夫にだまされ、別々の舟に乗せられた母と乳母は佐渡へ、子の二人は丹後由良の山椒太夫へ売られました。

安寿は浜で冷たくつらい塩を汲み、厨子王は由良ケ岳で薪作りの日々、その上きびしい仕置きも受けていました。

二人はついに由良から別々に逃げることを決心、安寿は由良川を越え、厨子王は山越えで逃げるのです。

しかし、安寿は疲れ果て自ら入水し命果てました。

橋立の延命寺に逃げ込んだ厨子王は、親智和尚と一緒に京へ上り、藤原公季のもとで文武に励みます。

そして厨子王は平政隆と名のり、塩谷城(福島県いわき市)の村岡重頼を討ち、のちに丹後の国守となるのです。

『参考文献を参照』

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