南丹市園部町小桜町 | |
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国道372号線で丹波篠山を過ぎて京都府に入り「天引」から54号線を北へ走ります。 7kmほどで園部町役場の方向へ進むと園部公園がある所が園部城(そのべ)です。 |
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小出吉政の子・吉親は但馬出石城から来た人だよ。 関ケ原の時、小出吉政は西軍として丹後田辺城を攻めていた。 でも、吉政の弟・秀家が東軍に属していたので、安堵されたよ。 |
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大きな駐車場に着きました。 正面には完璧なお城、大きな鳥もいたので、これが園部城と思い、石垣とプールみたいな内掘りを写して駐車場を出たよ。 長い間、模擬天守しか見ていないからね、もう少しで同業者の方々にメールをいただくところだったよ。 でも国際交流会館とは何かな、温泉もある。 |
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「城門」 園部高校の正門だよ。 戊辰戦争の時、小出英尚は明治新政府から許可を受け、小麦山の山頂に三層の櫓を築きました。 しかし、明治五年にはほとんどが取り壊されたそうです。 |
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本丸跡は園部高校、高校の郷土館が巽櫓なのかな。 京都の歴史は奥が深い、「応仁の乱」だけでも分からない事がいっぱいなのに、明治維新になると完璧に知らないよ。 もし高校がお城跡に立っていたら、少しは勉強していたのかな。 明治維新は丸暗記しなくても試験に出なかった、でも今頃になって教科書出して大塩平八郎から暗記の続きをしているよ。 汗かきながらね。 |
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元和5年(1619)、但馬の出石から移封となった初代園部藩主・小出吉親公は、約二年間を費やして、この地に園部陣屋を築きました。 歳月を経て、折しも戊辰戦争のさなか最後の園部藩主(第十代)小出英尚公は明治新政府から園部陣屋をより堅固な園部城として、整備する許可を受け、明治元年(1868)から二年(1869)にかけて、櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に三層の櫓などを築きました。 しかし新たな時代の潮流の中、園部城は明治5年(1872)そのほとんどが取り壊され、今は残った巽櫓はどが往時を偲ばせています。 激動の時代に再整備されるという例のない歴史を持つ園部城も、現在はその跡地に園部公園や京都府立園部高等学校が設置され、憩いの場・教育の場として住民から親しまれています。 『現地案内を参照』 |
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