八木城

南丹市八木町本郷

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国道372号線をひたすら北東へ、京都府に入り国道9号線に乗り換えて、JR八木駅前の信号から東側一つ目の信号で線路を渡ります。

「八木小学校」から南に見える城山が標高330m(比高220m)の八木城(やぎ)です。
  
「ジョアン内藤顕彰碑」

兵庫県の八上城、黒井城とともに丹波の三大城郭といわれています。

昭和60年、 ジョアン内藤の墓があるマニラ市と八木町は姉妹都市を結び、交流を深めているのです。
  
丹波の三大城郭だからすぐに分かると思ったけど、この辺りの山がみんな山城に見えてくるよ。

国道9号線沿いの「八木駅」で場所の確認、案内の地図を見ながら考えていた。

とにかく駅裏の線路を渡って八木小学校方面に行けばいいよ。
  
「京都縦貫自動車道の下」

必死で線路を渡り、小学校の前を通り過ぎるとここに着く。 高速道路をくぐるトンネル、なかなかやるなと思った。

手前には春日神社、近くには内藤家の屋敷が置かれた東雲寺や細川勝元が創建した龍興寺があるよ。

「アーアー」と言いながら歩きます。 
  
トンネルを出るとすぐに登山口。 登山口は2箇所ある、もう一つはトンネルからずーっと右に行った所、でも周回コースだからどちら側でもいいよ。

全部で何合あるのかな、よく十合目の次に十一合目があるからね。 麓の屋敷跡もすごいから、見逃さないでね。 
  
山頂に着いた。 このまま右上に行けば「妙見宮」、左は「本丸」の道標があるよ。

比高220m、しんどいはずなのに結構楽に登れた。 「あと何合」と思うからだね。

どこのお城だったのかな、10合だと思ってたら18合まであって倒れそうになったよ。 
  
妙見宮の方へ行くと、大きな堀切。

このまま行くと降りてしまうので、本丸の方へ戻るね。 
   
本丸へ登る所の右手に石組がある、すごいよね。
右側には窪地、水を貯めていたのかな。 
  
今度は本丸の左手、少し降りた所だよ。 そういえば、8合目あたりかな、沢山の石が散乱していた。 この辺りの石が落ちていったのかな。

当時のビデオがあれば面白いよね。 実は知らないだけで、南蛮伝来の「最新式石持ち楽々装置」で運んでいるかもね。 
  
ここからの眺めも最高、ベンチに座ってお茶とおにぎり。 美味しいよ。 一段高くなった所は「金の間」なのかな、いつも思うのは500年でこんなに生活が変わったことだよ。

もし、戦国時代に「携帯電話」が伝来してたら面白いよね。 「向こうの山で狼煙が見えます」と画像付きメールが来るよ。
  
帰りに振り向いた、実物は大きいよ。

「大航海時代」、ヨーロッパでは「夢」を求めて世界中を駆け巡っていた。

今の日本社会、「グローバル化」と騒いでは海外に進出、生き残る為だと言っている。

そこには生き残る為に大きな石を山頂に持ち上げた日本人が初めて見た「鉄砲」ほどの感動がない。
   

  
八木城は、八木南西部に位置し、京街道(山陰道)を眼下に望む口丹波随一の要害です。 丹波国内では、八上城、黒井城と並んで三大城郭のひとつといわれ、中世の山城としては有数の規模を誇ります。

丹波守護代内藤氏の居城として伝えられ、15から16世紀に丹波地方の中心として機能しました。 戦国時代、キリシタン武将としてルイス・フロイスとも親交があった内藤如安は有名で、文禄・慶長の役のおり、明側との交渉に当たりました。

城は光秀の丹波侵攻により没落しますが、江戸時代に亀山藩が幕府に提出した絵図の模写によると、最高所の本丸は四方に野づら積みの石組が描かれています。

また本丸の南西端に金の間と書かれた一段と高い部分が張り出していますが、これは天守閣の祖形と考えられます。

現在は、石垣の一部や尾根づたいに曲輪跡が残るのみであるが、当時の雄大な様子を伝えています。

『現地案内を参照』

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