八田城

三重県松阪市嬉野町八田

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伊勢自動車道「一志嬉野IC」から58号線を南へ走ります。

中村川の一志橋を渡り、30号線を西へ、67号線との交差点を南に入ると山裾には八田城(はった)の案内があります。
   
   
集落の南側、山麓に八田城の碑が見える。

車をどこに置こうかな、道は細いし、結構遠くから歩いてきたよ。

はっきりと分からないけど、大多和氏の前身、三浦氏のお城とあるよ。
  
   
伊勢の三浦氏、大和多氏の話は良く分からないけど、三浦氏は相模国だね。

相模の北条早雲、もとの名を伊勢盛時という。

ここは伊勢、伊勢盛時、三浦盛時、ややこしいけど、あまり関係ないみたい。
 
  
上り着く、はっと見渡す感覚で主郭が広がるよ。

周囲は土塁、南側には物見台、その南の堀切に橋が架かる。 東側、谷の井戸は分からない、探せばあったのかな。

今度、行きたいお城、それは相模国の小田原城。 まだまだ伊勢の国、沢山のお城へ行かなくてはね。  
  

  
八田城跡は雲出川の支流、中村川の南側の標高約58mの丘陵突端部にあります。 城跡の北側になる八田集落の平地からは、約34mの高さです。

この流域の各地区には、地区名が城跡の名称になっていて、下流の天花寺城、堀之内城、小川城があり、上流に釜生田城、森本城、滝之川城があります。

その中でも釜生田城、森本城、滝之川城とともに、城跡の全域が残っていて、全体の形状がよくわかる城跡です。

城跡は土塁に囲まれた主郭を中心にして、東と北に小郭があり、主郭の出入り口は、東と南にあり、南下の狭い谷に井戸跡があります。

更にその南の尾根筋にも東と西に堀切があり、城の範囲が広がります。

八田城についての同時代の史料は見当たらず、近世の地誌である「勢陽五鈴遺響」には、大多和兵部少輔が居たとし、明治年間作成のまとめたと思われる「伊勢名勝志」には、大多和氏の前身、三浦氏の築城としています。

『現地案内を参照』

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