三重県伊賀市丸之内 | |
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名阪を走り、やってきたのは伊賀忍者で有名な上野市です。 この地は、京都・奈良から東海道に通ずる交通の要衝で、伊賀上野城(いがうえの)は、盆地の突き出た台地に位置します。 |
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昭和十年に、天守閣は復興しました。 中は展示館になっていて、各名城の写真には興味が引かれました。 |
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石垣はとても高く、西側の堀の近くに立つと、足がジンジンします。 囲いも無く、花見で酔った時は危なくて近寄れませんね。 |
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松尾芭蕉を記念する俳聖殿や芭蕉翁記念館、忍者屋敷があります。 忍者の アトラクションも面白いですよ。 |
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天正13年(1585)、筒井順慶の養子・定次は豊臣秀吉から羽柴の姓を賜って、大和郡山からこの地に移り、最初の上野城を築きました。 慶長5年(1600)、 定次は城を弟の玄蕃に任せ、徳川家康に従って、上杉景勝を討っていた隙に、石田三成に呼応していた大坂の高槻城主の新庄氏が攻め込み、玄蕃は一戦もしないで降伏して、高野山に逃げてしまったのです。 定次は急いで引き返して城を奪い返すという話があります。 大阪の豊臣氏との決戦に備えていた家康は、 定次では頼りないとして改易し、伊予今治から藤堂高虎をもってきました。 高虎は大幅な改築に取りかかり、特に大阪城に向かう西側を強化しました。 深い堀と高い石垣を造り、その上に五層の天守閣を建てましたが、 天守閣は完成間近に暴風雨のために、倒壊してしまいました。 そのうちに、大阪冬の陣、夏の陣で豊臣家は滅亡し、この上野城には天守閣は再建されませんでした。 伊賀の国は、貴族や荘園が多く、土豪たちがひしめき合っていました。 戦国時代には土豪同士で連合して、ゲリラ戦を展開していたのです。 高虎はこの土豪と手を組みました。 そして土豪の中から生まれたのが、いわゆる伊賀忍者なのです。 築城の時にも全国に放ち、主要な城郭の機密をさぐらせて、参考にしたともいわれています。 『参考文献を参照』 |
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