神戸城

三重県鈴鹿市神戸本多町

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鈴鹿市へ行くにはどの道がいいかな。

今回は名古屋から近鉄特急、揺られ着いたのは日本三津、紀伊本線で北へ走ると亀山城、関西本線で東の河原田、伊勢鉄道で南の鈴鹿市、やっと神戸城(かんべ)に着いたんだ。
   
   
伊勢鉄道、よかった。

よく地図を見たら、南の津から出ているんだ。

順番として、津城→神戸城→亀山城の方がよかったかな。

でもびっくり、石垣がすごいんだ。 一つ、大きな石、何かの逸話があるのかな。
 
  
今日は何の準備、夜に出店でもあるのかな。

天守台から降りる、向こう側には堀があるからね。

このお城が見れてよかった、石垣。 もうすぐ夏祭り、公園で盆踊りをするよ。

金魚すくい、いいな、うらやましいよね。
   

   
伊勢平氏の子孫・関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(14世紀)飯野寺家町の地に沢城を築いたが、戦国時代の1550年代には、この地に神戸城を築いて移りました。

神戸氏七代目・友盛は、北勢に威を振るいますが、信長軍の侵攻により、永禄11年(1568)その三男、信孝を養子に迎えて和睦をしました。

信孝は、天正8年(1580)ここに金箔の瓦も用いた五重の天守閣を築きます。 しかし、本能寺の変後、岐阜城に移り、翌年秀吉と対立して知多半島で自刃し、文禄4年(1595)には天守閣も桑名城に移され、江戸時代を通して天守閣は造られず、石垣だけが残されました。

江戸時代、城主は一柳直盛、石川氏三代を経て、享保17年(1732)本多忠統(ただむね)が入国します。 本多氏の治世は140年間7代忠貫まで続き、明治8年(1875)城は解体されました。

その後、堀は埋められ城跡は神戸高校の敷地となり、天守台や石垣に悲運の武将を偲ぶことができます。

『現地案内を参照』

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