三瀬館

三重県多気郡大台町上三瀬

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紀勢自動車道「大宮大台IC」から43号線を北へ、大台町役場、道の駅奥伊勢おおだいを過ぎて、上三瀬バス停前の「北畠史跡」を北へ曲がります。

少し進んで山麓まで行くと、三瀬館(みせ)がありました。
   
   
三瀬御所と呼ばれ、北畠具教が隠居した館だよ。

東西の茶臼山と八幡山にそれぞれ見張台の砦を築き、勢力回復を狙っていたんだ。

秋の紅葉、館跡は落ちた色で染まっていたよ。
   
   
前の川を渡った所、具教の胴塚があるよ。

首塚は津市美杉町の多気の菩薩寺に葬ろうと、馬を走らせたのですが、敵方の追従が激しく、松阪市飯高町の野々口に埋葬された。

津市美杉町といえば、霧山城や北畠氏庭園、北畠神社がある所なのかな、行ってみたいな。

紅色、北畠館の最後の場面色、すっかり陽が落ちそうだよ。
  

  
ここは伊勢国司八代・北畠具教の隠棲(いんせい)の地です。

永禄十二年(1569)、具教は大河内城において、北畠氏の総力を挙げて信長の大軍を迎え撃つのですが、やがて信長の三男・信雄を養子にする条件で和議を結びました。

その後、具教は、宮川筋において最も要衝であるここ三瀬の地に館を築いて隠居、勢威の回復を図ります。

天正四年(1576)、信長の指令により、信雄がさしむけた刺客(藤方氏・長野佐京進・滝川三郎兵衛尉)により謀殺されるのです。

館跡は鎌止山の麓斜面を改修してほぼ三段にしつらえていますが、そのどこに居住されていたかは、明らかではありません。

『現地案内を参照』

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