三重県鳥羽市鳥羽町 | |
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近鉄鳥羽線「鳥羽駅」の南、鳥羽水族館あたりを西に入ると丘の上には、鳥羽城(とば)があります。 2008年12月、暖かい伊勢の国。 水軍、九鬼のお城だよ。 |
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文禄三年(1594)、九鬼嘉隆により鳥羽城は築かれました。 息を切らし、裏側の石垣に感動、本丸へ上る。 幼稚園の子供達かな、広場で走っていたよ。 |
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二の丸に降りてきた、早朝の風景は、真珠島。 年配の人、ベンチに座ると、ゆっくり朝刊。 変わらぬ風景、昔を偲ぶ。 一日は長い、背中で感じて、遠くを見つめ。 子供達、遊ぶ声、遠くてもう聞こえないよ。 |
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保元年間(1156-59)、橘氏がこの地に居館を築いたのが始まりです。 永正年間(1504-21)、橘宗忠の時、伊勢国司・北畠材親が鳥羽を攻め、宗忠は降伏しています。 波切城の九鬼嘉隆は、志摩を手中に入れようとしたのですが、志摩七島党の反撃により安濃津(津)に逃れました。 永禄十一年(1568)、嘉隆は信長の力を借りて志摩に戻り、志摩地頭十三人衆の内、浦豊後の浦衆、荒島左門の安楽島衆、小浜民部の小浜衆を落としました。 元亀元年(1570)には、答志・和具・的矢・越賀などの諸豪族も支配下に入れています。 橘宗忠は小浜城主・小浜民部と共に嘉隆に対抗するのですが、娘を人質として降伏し、嘉隆は妻として宗忠の所領を継ぐのです。 のち嘉隆は、信長に従い各地で転戦、本能寺の後は秀吉に従い小田原征伐・四国九州攻めに参加、朝鮮の役にも参戦するのです。 『参考文献を参照』 |
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