稗田環濠

奈良県大和郡山市稗田町

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関西本線(大和路線)は郡山駅から144号線を東へ歩きます。 佐保川を渡り信号を南へ800mぐらい、この集落が稗田環濠(ひえだ)と云われています。

2008年5月、緑がまぶしい季節になりました。 しばらくは古都探索、奈良市の少し南だよ。
  
  
郡山駅を出て、コンビニ辺りで方向が分からなくなる。 東へ歩いていると思ったら、南へ、意外とそうなるよ。

集落の中、道はくねくねで、遠くが見えなくしているんだ。 奈良市の古市城主・古市胤仙は筒井氏と対抗していた、西方院山城も築城しているよ。
 
  
集落の周りに堀、ここをまっすぐに歩くと売太神社がある。 境内が主郭だとも云われているよ。

「平城京羅城門跡」の案内板があったけど、どこだったのかな。 南の若槻環濠まで歩くよ、と言うより、郡山駅から間違って最初に若槻環濠に来てしまった。 
    

   
稗田環濠は全国的にも有名な環濠の一つです。 稗田の集落と環濠がいつごろ造られたのかははっきりしていません。

稗田集落の存在を示す最も古い資料は、「経覚私要妙」の文安元年(1444)の記事で、古胤仙が稗田の陣を敷いたという記事です。

この後、「大乗院雑事記」の文明11年(1479)、文明14年の記事には稗田が筒井氏の攻撃によって焼かれたことがでています。

戦国時代には、城砦的な役割をはたしていたと考えられます。 その後、現在にいたるまで環濠や集落内の道や敷地割りが残されてきました。

集落内には、稗田阿礼を祭る式内社である売太神社があります。

『現地案内を参照』

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