磯野環濠

奈良県大和高田市礒野

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JR和歌山線と桜井駅が合わさる「高田駅」から南西の方向へ歩きます。

近鉄南大阪線を越えると、南側には礒野環濠(いその)がありました。

2009年4月、大和探索。 静御前の集落なんだ、すごいね。
  
  
高田川の橋を渡ると環濠集落、静御前終焉の地は順照寺だよ。 その少し西に案内、あるとは思わなかったので喜びいっぱい。

実は、静御前と関係ある街とも始めて知ったよ、うれしさいっぱいだね。
 
  
静御前終焉の地だよ。

静御前は、頼朝の妻・政子の情けにより、静御前は京に帰り、病気になってからは、ここ礒野へ帰ってきました。

案内を見る、藤ノ木に葬られ「静御前の墓」と呼ばれる塚跡があるよ。
  

  
大和平野には、堀(濠)に囲まれた、いわゆる環濠集落が多く、濠には水を湛え、水利と村落防衛のために造られたと考えられます。

大和高田市域にも、有井、池尻、松塚、土庫、藤森などに環濠が残っていますが、いずれの環濠も、水利の変遷、住宅開発などにより姿を消しつつあります。

静御前は、ここ礒野の長者の妻礒野禅尼を母として生まれました。 白拍子となり、源義経と出会いますが、兄頼朝に追われる身となり捕らえられ、送られた鎌倉の鶴岡八幡宮で義経を想い謡舞しました。

頼朝に怒りをかいますが、頼朝の妻政子の情けにより、静御前は京に帰ることができました。

ところが、心疲れて病気になり、母の故郷である大和高田市礒野に帰ってきます。

「笠神の社」にある明神さんに病平癒を祈願に通います。 その途中、松に衣を掛け小休止したという「衣掛けの松」があったことが古地図に残っています。

『現地案内を参照』

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