奈良県大和郡山市小泉町 | |
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関西本線(大和路線)の大和小泉駅から北西へ、9号線を越え冨雄川を渡ります。 まもなく道路の左側には「片桐城跡」の石碑、上がると小泉城(こいずみ)がありました。 2008年6月、もうすぐ梅雨、まだしばらくは古都探索ができそうだね。 |
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南北朝の頃、小泉氏は大乗院方衆徒で、古市氏、豊田氏、秋篠氏、尾崎氏、鷹山奥各氏と共に、興福寺の衆徒(官符衆徒)につきました。 江戸時代、片桐氏の陣屋となります。 片桐氏と言えば、大阪の茨木城が浮かぶ、見ると「一国一城令」により茨木城が破却された時、桜門を大和小泉(慈光院の表門)へ移築とあるよ。 |
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「小泉神社」 お城跡の碑がある公園から西へ歩くと「ナキナタ池」がある。 堀跡の池、対岸から見えるのは片桐邸高林庵に復元された隅櫓。 南へ歩くと神社、城門は小泉陣屋から移築されている。 祭りの時、片桐家から献茶の儀が行われる、そう片桐貞隆の子・貞昌は石州の名で有名、茶人だよ。 |
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「山背大兄王の墓所」 お城から北の9号線、西へ歩くと法起寺、過ぎて法輪寺方向へ歩くよ。 聖徳太子の皇子・山背大兄王のお墓だね、皇位継承をめぐって田村皇子(のちの舒明天皇)と争われたんだ。 大化の改新の2年前、蘇我入鹿の軍勢が斑鳩宮を攻めた、そして太子の一族は滅びたんだよ。 |
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南北朝の頃から名をあらわした有力な地侍である小泉氏の館が、周囲より一段高いこのあたりにおかれていました。 これが小泉城のはじまりです。 江戸時代の元和9年(1623)、片桐貞隆が、この中世の小泉城を利用するかたちで陣屋を構え、小泉藩が成立しました。 その後、延宝元年(1673)に内堀が完成し、陣屋としての体裁が整ったといわれています。 また、街道沿いに城下町も形成され、北ノ町、本町、中之町には今もその面影が残されています。 『現地案内を参照』 |
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