磯城郡田原本町郭内 | |
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近鉄橿原線「田原本駅」を北東へ、田原町役場から南の集落一帯が田原本陣屋(たはら)だね。 2008年6月、もう梅雨だね。 太子の道は分からなくなった、カツどんも美味しかった。 |
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「大和の大坂」とも云われるぐらい、商いの町として栄えていた。 ここは田原本役場、玄関横に案内があるね。 この場所は、藩士が住んでた場所らしい。 ここから南を歩くと、街並みには案内や史蹟を見つけるよ。 |
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「浄照寺」 近鉄の駅のすぐ東、食堂に入った。 法隆寺から歩いて来た、水がほしそうな顔をしていた。 水がいっぱいの大きなペットボトルが置かれる、全部飲み飲みと言われ、嬉しくカツドンを食べた。 表門は伏見城の高麗門を移築したものだよ。 |
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「本誓寺」 二代目・平野長勝が菩提寺としました。 ここは境内、二代と九代・長発の霊廟だよ。 奈良県の大名の霊廟は、ここの2つと大和郡山の筒井順慶の3つしかないらしい。 体力は復活、ここから東へ歩く、いったいJRはどこにあるのかな。 |
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この付近は、江戸時代に田原本以下十市郡内七ケ村五千石を領した平野氏の陣屋が置かれていた場所です。 秀吉より、賤ヶ岳七本槍の一人として軍功を賞された平野権兵衛長奏は、文禄4年(1595)にこの地を拝領しました。 長泰は、教行寺に寺内町を築かせて、その経営も委ねましたが、二代目・長勝が寛永5年(1628)に入封し、寺内町の東の寺川沿いに陣屋を築造しました。 支配権を巡る争いの末、教行寺は箸尾へ退却、その跡地には円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺が置かれました。 教行寺により形成された寺内町は陣屋町として引き継がれ、寺川の水運と中街道沿いという好立地から、大和中央部の物流拠点として大いに繁栄しました。 陣屋の規模は、南北約350m、東西約120mで、周囲を濠と土塁で囲んでいました。 中央南側に領主平野氏の屋敷及び、政庁がおかれ、北半にあたる現在の役場付近には家臣団の屋敷がおかれました。 『現地案内を参照』 |
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