奈良県奈良市多聞町・法蓮町 | |
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2008年3月、春になりました。 しばらくは古都探索、昔の出来事、歩いてたずねてみるよ。 |
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佐保丘陵に築かれたお城、東大寺から北西15分くらいかな。 近代城郭の最初と云われ、ヨーロッパにもない美観であると宣教師ルイス=フロイスは絶賛したらしい。 今は若草中学校が建っているから中には入れないよ。 |
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佐保川の橋からお城を見る、南側は川が堀の代わりだったんだ。 学校だから入れないけど、駅から道標があるから、せめて学校の外に城跡の碑がほしいね。 どこかにあったのかな。 |
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「聖武天皇陵」 聖武天皇の佐保山南陵です。 聖武天皇の妻は藤原不比等の子女・光明皇后です。 天皇は全国に国分寺を建てたり、東大寺の大仏を建立させています。 |
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奈良の大仏さん、何回見たかな。 最初は小学校修学旅行、鼻の穴に入れる頃だよね。 二度の兵火にあっている。 最初は平重衡の焼き討ち、二度目がこの松永久秀と三好三人衆の戦いの時だよ。 多聞城の話を知ると、何故か実感が湧いてくるね。 古都の話、沢山めぐり会えそう、でも少しづつでいいから歩いてみるよ。 |
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永禄二年(1559)、三好長慶の家臣・松永久秀は筒井順慶を破って大和に入り多聞城を築きます。 永禄七年(1560)、長慶が世を去ると、久秀が勢力を増大し、三好三人衆(三好長逸・岩成友通・三好政康)と謀って足利義輝を暗殺します。 しかし永禄十年(1567)、久秀は三好三人衆と対立、筒井順慶も三好三人衆と手を組み筒井城を回復しています。 南都は三好・筒井勢に抑えられるのですが、追い詰められた久秀は東大寺に布陣していた三好勢を奇襲、大仏殿を焼いて危機を脱しています。 永禄十一年(1568)、信長が足利義昭を奉じて京に入ると、久秀はいちはやく信長の軍門に降り、南都での勢力を回復します。 元亀元年(1570)、筒井方の反撃が強まり、翌年の辰市城の合戦で松永勢は敗北、久秀は衰退の一途をたどるのです。 天正元年(1573)、久秀は武田氏と通じて挽回しようにも失敗、ついに信長に降って多聞城を明け渡し信貴山城に退くのです。 『参考文献を参照』 |
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