奈良県大和郡山市筒井町 | |
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関西本線(大和路線)は郡山駅から144号線を東へ歩きます。 佐保川を渡り信号を南へ800mぐらいには稗田環濠、さらに南には若槻環濠、南西に歩くと佐保川の東岸には番条城(ばんじょう)がありました。 |
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番条城から西へ、佐保川を渡り南へ歩く。 大きなスーパーの東、見た事がないような大きな土塁がある。 やっとやっとありました、石碑。 というより、地元の方に聞く以外に見つけることは無理です。 ここを東へ行くと公園、大きな「筒井城跡」とある。 |
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最初は土塁とは思えなかった、スーパーの西に入ると光専寺、筒井順慶公木像安置とある。 お寺から南へすぐ、大きな「筒井城跡」がある公園、石碑は近くにあるよ。 帰り、JR大和小泉駅まで歩いた、遠い遠い。 奈良は近鉄、分かりような気がした。 |
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筒井順慶、松永久秀の抗争は、郡山城と井戸城で争奪戦が行われています。 永禄十一年(1568)、筒井城落城、元亀元年(1570)、井戸城落城、のち郡山城だけが筒井方により死守、松永方はこれを落とすために四方に付城を築き包囲します。 元亀二年(1571)、筒井氏の主力軍が郡山城に集結し、辰市城合戦で松永軍を打ち破ります。 天正五年(1577)、筒井順慶は松永久秀の滅亡後、筒井城の拡張工事を始めたのですが、地形の不利から筒井城を残念、郡山城を本城としました。 天正八年(1580)、信長は大和国の郡山城一つ残して他のお城を破却、その上で筒井順慶の大和支配を許します。 天正十年(1582)、本能寺の変で光秀は、順慶の出陣を求めたのですが、順慶は籠城したまま動かず、秀吉のもとに参じて大和一国を安堵、翌年には天守を完成させています。 しかし二年後、順慶は世を去り、小泉氏から養子に入った定次が跡を継ぐのですが、定次も伊賀国へ転封、筒井氏時代は終わりを迎えたのです。 『参考文献を参照』 |
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