秋庭氏居館

岡山県上房郡有漢町字土井

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岡山自動車道、「有漢IC」で降りるとずぐ常山公園があり、そこには標高268mの有漢常山城(うかんつねやま)。

そして有漢常山城から西側の有漢川を渡った北の集落には、秋庭氏居館(あきばし)があります。
   
   
有漢常山城から西側の有漢川を渡り、すぐ北(右側)へ入った集落の奥だよ。 何回か前の道を通り過ぎるよ。

ここは正尺屋敷のところで、長さ70mの石垣がある。
 
  
もう一段上の石垣だよ、平らな面は三段になっているんだ。

元弘2年(1332)、松山城は高橋氏によって奪われ、山名氏の援助で取り戻し、のち秋庭重継・重明・頼重・元明・元重と続きます。

でも永正6年(1509)には上野信孝によって奪われ、その後には庄氏や三村氏が入るんだよね。
  
  
井戸が分からないので、家の方に案内していただいたよ。 姫路から井戸を見に来たと言うと、びっくりされていた。 その井戸が見れて感激だよ。

秋庭元明は、嘉吉の乱で赤松満祐が将軍・足利義教を殺害した時、幕府の細川方に属し「和坂合戦」や「城山城合戦」で赤松一族を討ちました。

そして応仁の乱では東軍・細川勝元に属し、山名勢との戦いを繰り広げるのです。
    

   
秋庭重信は、館の前に有漢常山城、有漢盆地の入り口には台ケ鼻城を築き、治元年(1240)に臥牛山・大松山に築いた高梁城がのちの備中松山城となるのです。

『参考文献を参照』

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