岡山県倉敷市藤戸町天城 | |
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瀬戸中央自動車道、「早島IC」から152号線を東へ、165号線を南へ走ります。 天城の街の中、高校のあたりが天城陣屋(あまぎ)です。 2005年7月、梅雨の晴れ間は岡山。 100mも走れないけど、「青春時代」、ほんとは戻りたいよね。 |
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西から南側は倉敷川、東には六間川が流れ、ちょうど陣屋の高台を丸く囲んでいる。 ぐるっと一周すると古き街並、たどり着くのは校舎の北側、陣屋跡の碑だよ。 学校のサブグランドかな、甲子園目指す学生たちが夢中に走っているよ。 |
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天城陣屋跡の碑の横、当時の石積と思うよ。 近くの静光寺には陣屋門、正福寺には下津井城の城門が移築されています。 と書いたけど、ぐるっと回る運転は難しいから今度見に行くよ。 |
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碑がある道を学校沿いに東へ回る、道の横にあるからすぐ分かるよ。 信長家臣の池田恒興は、よくテレビで見かけるし、岡山や鳥取の池田藩のことも、もっと勉強しなければね。 |
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昔に戻れるならいつと話す、いつも答えるのは「青春時代」。 でも20歳以上かな、6時間も勉強できるだけの体力・気力は使い果たしてしまったよ。 それに気がついた時、青春は過去になる、だから気づかないふりをしているよ。 |
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信長に従った池田恒興の子には之助・輝政・長吉・長政がいます。 長久手の戦いで恒興と嫡子・之助は討死し、次男・輝政が家督を継いで関ケ原で東軍に付き、のち姫路城主になりました。 この嫡子・之助の家系から由之、由成と続き、輝政の家系は利隆、光政と続きます。 光政は鳥取城主、由之は米子城主になるのですが、寛永九年(1632)の国替えで光政は備前に移り、由之は下津井城主となり、由之の嫡男・由成が天城陣屋を任されました。 寛永十六年(1639)、一国一城令により下津井城は廃し、のち天城陣屋は十一代・政和まで続いて明治を迎えました。 『参考文献を参照』 |
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