青山城

岡山県和気郡和気町日笠上

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県道96号線を東へ、北曽根城の前を走り、46号線に入って和気神社を通り抜け北へ北へと進みます。

やがて日笠川の橋を渡る手前で414号線へ曲がると山の中腹にある長泉寺へと登ります。

このお寺の背後には標高212mの山頂に青山城(あおやま)があります。
  
  
2005年1月、やっと299城目です。 備前で一挙に300城を乗り越えようと思う、雪も近づいてきた。

ここで坂上田村麻呂の名前が出てくるとは、ほんと歴史のつながりは面白いよね。
 
  
少し雪、お城に行く時は気まぐれ、大阪に行きたいと思いながら岡山に来てしまう。

今日も兵庫・岡山・大阪・鳥取の地図を乗せ、やってきたのは備前は和気、そう和気清麻呂の神社の近くだよ。

中腹あたりに長泉寺がある、でも道は狭いから地元の方に尋ねてね。
   
   
お寺の横から登る、初めは普通の道。 いきなり竹の嵐、100mぐらい続いたかな。

これがけっこう気をつけないと危ない、地面の竹で滑って、掴んだ竹が宙に舞うと、あとは想像できるよね。
   
  
竹林を抜け、少し登ると帯郭かな。 学生の時、姫路の奥の山を借りてキャンプ場を作った。

草を刈り、木の根を堀り、土を平らにして、テントを張る郭やファイヤーする郭を作る、半年ぐらいかかるよ。

穴掘ってトイレ、幕張ってドラム缶のお風呂。 井戸は無理だから18リッターのポリタンクに水入れて、山道を登っていくんだ。 
  
  
主郭、上の写真の右側を登ったところ、ファイヤー場ぐらいの広さだよ。 小学生の頃は山で基地作り、20歳の頃はキャンプ場作り、それから20年。

森林浴とか言われてるけど、やっぱり山は土の感触がいいよね、忘れられないやわらかさだ。
  
  
建物の裏に回ると大きな堀切。

夏休みになると、途中まで作ったキャンプ場には高校生や中学生に来てもらい、一緒に作りあげていく。

昼は汗まみれの作業、夜は歌やゲーム、けっこう面白い企画でしょう。
  
  
もう向こうの山が見えないぐらい雪雲が近づいてきたよ。 ここも早く降りた方がよさそう。

竹の中を降りるより、他の道を探そう。

そうそう姫路の山を削った所、2箇所あるからね。 今では草木がいっぱいと思うけど、穴掘ったとこもあるし城跡と似てるから気をつけてね。
  
  
主郭から反対側の中継塔がある所から降りた、その途中にも堀切があるよ。

塔からは急な坂、途中にはそれらしき石もあるけど、すべり降ちそう。 
  
  
「長泉寺」

草木の中から這い出てくるとお寺のお墓、雪がちらりほろり。 地図だけは沢山持ってきたけど、今回の備前は一つだけだった。

「雪の300城」、目の前まで雪は迫ってきた。 でも今日は帰ることにしたよ、竹で滑っておしりが痛いからね。 
   

   
延暦十三年(794)、桓武天皇は都を奈良から長岡京へ移し、その後京都に平安京を造ったのが平安時代です。 その頃、東北地方には朝廷に対抗していた蝦夷と呼ばれる人々がいました。

延暦十六年(797)、朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方の制圧を行うのです。 ここで話は違うけど、京都の清水寺は坂上田村麻呂が建てたんだよね。

この坂上田村麻呂の子孫・日里宇(ひりゅう)が、若狭の国の日笠(福井県の遠敷郡に日笠という地名がある、ここかな)に住んで、姓も日笠氏を名乗りました。

その後岡山の和気に移り、日笠氏七代目・将監親政が水精山に築いたのが青山城の始まりです。

主家・赤松家から分かれた三石城主・浦上村宗は、赤松晴政との「天王寺合戦」で討死、その子・政宗、宗景は播磨の室津城に入りました。 しかし兄弟の仲が悪くなると、日笠頼房の勧めで宗景は天神山城を築いて移りました。

天正三年(1575)、宇喜多直家が天神山城を攻め落とすと、宗景は日笠頼房と共に播磨の国に逃れたのです。

『参考文献を参照』

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