荒平山城

岡山県総社市秦

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岡山自動車道、「岡山総社IC]を降りてから国道180号線を西へ走ります。 「高梁川」から北へと川沿いを上り、JR伯備線の「豪渓駅」を過ぎてすぐ「豪渓秦橋」を渡ります。

橋の南側の標高191m山頂には荒平山城(あらひらやま)があります。
   
    
「三の丸」

実際の登り口は1.5kmほど南の「厚生年金休暇センター」まで車で行き、そこから登りました。

ここから北にある川上郡の成羽陣屋を見た瞬間、雪が舞ってきました。

この総社までは雪雲は来ていなかったので、登ることにしました。
 
  
「展望台へ」

厚生年金休暇センターに車を置いてから、少し登ったところです。

左へは「麻佐岐神社(まさき)」、真っ直ぐに行くと城跡がある「展望台」へと続きます。

道がとてもいいので走って登ったのですが、この辺りに屋敷跡があったのかも。
    
   
まもなく鳥居があります。

道はゆるやかにアップダウン、寒い3月だから走っても汗はかかないね。 
   
   
「金毘羅神社」

1kmぐらい走っただろうか、さすがに疲れてきたよ。 でも何故走っているかって、もう北の空は雪雲で真っ暗になってきたんだよ。  
   
   
「東の眺め」

北側半分は真っ暗になってきたよ、晴れた高梁川の流れも見たいよね。

早く、本丸に行かなければ。 
   
   
「三の丸」手前の堀切だよ。 土橋というのがあって堀に架かっているらしいのだけど、どこだったのだろう。

雪が舞ってきたよ。 別にびっくりすることもないのだけど、姫路から来て一人山の中だと、やっぱり気が焦るよね。 
   
   
ここを登れば本丸。 あっ、カメラのシャッターが降りなくなった。

西脇の比延山城で山から転がし、加古川の天神山城でレンズキャップを失くし、ほんとうに酷使してきたカメラ。 教えてくれたんだよ「そんなに慌てたら、城跡に申し訳ないよ」って。

真っ赤な太陽の下で、汗かきながらまた来るよ。 その時まで本丸は見ないことにする。

今年の雪も、今日で最後なのかな。 
  

    
荒平山城主の川西之秀は備中松山城主・三村元親の親類で、経山城主・中島氏の一族でもありました。

天正三年(1575)、この総社市では木村山城に毛利元清、馬入山城に宍戸隆家、伊与部山城には小早川隆景が陣を構えました。

毛利勢はここ荒平山の山裾に火をかけ、炎上させて攻めたのですが、城から兵が打って出たために、毛利勢は退却しました。

これを聞いた小早川隆景は、中島元行を仲介として「領地を安堵するから毛利方につかないか」と伝えましたが、川西之秀は「数代、三村と親類であるから、毛利の味方にはならない」と言い、そして「籠城の兵を助けるなら、四国へと退く」と答えました。 その後、川西之秀は、児島から香川県の由佐氏方へ落ちていくのです。

この時に落ちた城は川上郡・国吉城から鶴首城、新見市の楪城(ゆずりは)、小田郡の猿掛城、玉野市・児島郡の常山城などです。

そして毛利勢は、総社市の鬼ノ身城を落とし、三村元親の本拠である高梁市の松山城へと兵を進めるのです。

『参考文献を参照』

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